第26話

 

毛皮商人ジスランの船に乗り込んでから数日。彼が言ったように、裏方の仕事を割り振られたジェイトは、なかなかティセリーたちと顔を合わせるタイミングもなかった。しかし、少しでもお互いの状況を把握しておきたかったので、食材を倉庫へ取りに行くなど、厨房から出る仕事があれば率先して引き受けることにしていた。

「きゃっ」

頭の上から届いた聞き覚えのある声と、何かが砕ける甲高い音に、一旦野菜のかごを下ろしてジェイトは階段を上る。モップを手にしたティセリーが、割れた花瓶を前に途方に暮れていた。

「ティセリー、どうした?」
「あ、ジェイト」
「……その格好は」

思わず事態を忘れて棒立ちになるジェイト。振り返った彼女は、いつもとは違う服に身を包んでいる。二人がジスランから与えられた仕事はメイドのようだったが、彼女がまとっているのはレイフォン邸のシンプルな黒服の女性たちとは異なり、鮮やかなピンクにフリルが満載のスカートである。加えて、長い桃色の髪を二つに結い上げ、やはりフリル尽くしのリボンでまとめているので、非常に華やかなことこの上ない。本当にメイドだろうか。

「リュシアンさんは赤なの。他にも青とか黄色とか、いろんな服の女の人がいるよ。髪の毛もジスランさんがこうしろって」
「……、なんか、あの、嫌だったら嫌って言えよ……?」

心配になってきた。二人の仕事内容も、ジスランの趣味も。

ともかく、ピンク色のスカートから視線を引き剥がし、割れてしまった花瓶のかけらを拾い上げる。価値などはわからないが、絨毯やカーテン、調度品など、豪華客船かと疑うような内装から推測するに、かなり高価なものだろう。謝って許されるものならいいが、弁償しろと言われたら厄介だ。

「後で一緒に……、いや、リュシアンと謝りに行ったほうがいいな。おれ、嫌われてるみたいだから」
「そんなことないよ、ジスランさん、ジェイトのお料理褒めてたよ」
「え?」
「昨日のお昼、ジェイトでしょ? トマトのパスタでこんなに美味しいのは初めて食べたって。料理長さんからジェイトが作ったんだって聞いて、ジスランさんびっくりしてたよ」

モップを握りしめて力説するティセリー。実家が飲食店をやっていると口を滑らせた結果、昨日は試しにまかないを作ってみろと料理長に言われたのだが、味見をした彼はあろうことかそれをそのまま主人のテーブルに出したのだった。
一応店で提供していたものだから味自体に自信はあったものの、見るからに高級志向そうなジスランの口にも合ったとは意外である。

「……あれ、嬉しくない?」

ジェイトがあまりにも無反応なものだから、ティセリーは疑問に思ったらしい。ゆっくりと息を吐き出して、ジェイトは花瓶のかけらに手を伸ばした。

「……嬉しいよ。ティセリー、箒」
「うんっ」

くるりと踵を返したティセリーに見えない位置で、ジェイトは一人小さく拳を握り締めるのだった。

近くにあった掃除用具で、手早く片付けを済ます。ジェイトの手が切り傷だらけになっていたのに気づいたのは、ティセリーの方だった。

「素手で触ったからだよ。ちょっと貸して」

眉をひそめた彼女はジェイトの右手を小さな手のひらで包むようにすると、ささやくように呪文を唱え始める。歌のような優しい調べが耳に染み入る。
やがて、柔らかな水色の光が二人の手の間にともり、それが明滅しながらゆっくりと消えた時、ジェイトの手のひらはまっさらな状態に戻っていた。シュオとの練習の成果だろう。

「……すげぇな」
「すごくないよ、まだまだ全然なの。でも簡単な怪我なら治してあげられると思うから、遠慮しないで言ってね」

と、謙遜しながらも、やはり彼女の微笑みはどこか誇らしげだった。しかし、すぐにその表情が曇る。

「ティセリー?」
「……あの、シュオさんに聞いたの。ジェイト、痛いのわからないんでしょう?」
「……あいつ」

シュオがそうしたということは、その必要性を感じてなのだろうが、それでもあまりいい気はしなかった。つい寄せた眉間のしわに、ティセリーが悲しげな顔をする。

「ごめんね。でも、わたしは聞けてよかったと思ってるの。知っていれば、ジェイトがひどい怪我をしないように気をつけてあげられるから。だから、わたしにも頼ってね。もう、迷惑かけるばっかりじゃないんだから」
「迷惑とか、思ったことねぇよ」

意気込む彼女に苦笑するジェイト。

「ありがとな、ティセリー」