第30話

 

トゲのある狼に似た魔物に、リュシアンが放った赤彩式が命中する。灼熱の炎に包まれて暴れる狼を、ジェイトの剣がなぎ払う。
しかし、倒れたその後ろから飛び出してきたもう一頭の狼が、ジェイトの脇をすり抜けてリュシアンへ飛びかかった。

「きゃっ!」
「リュシアン!」

白い肌に爪が届く寸前で、空を裂いた矢が魔物を貫く。難を逃れた彼女は、その場に腰を落とした。

「びっくりしたぁ」
「悪い。カリファも、助かった」
「大事無くて良かった。立てるか?」
「ありがと、大丈夫よ」

弓矢を納めたカリファの手を借りて立ち上がる彼女。三人の目の前には、雪の降り積もった針葉樹の群れが行く手を阻んでいる。その奥から湧いてくる魔物は予想以上に数が多く、手こずらされていた。

焦る気持ちを抑えながら少しずつ進むと、やがて視界が開ける。すぐ手前は崖になっており、真っ暗な夜空には煌々と月が輝いていた。足跡は、崖の下を目指すように低い方へと続いていく。

「ここを降りれば、帝都へ続く洞窟の目の前だ」
「もっと早く追いつきたかったな……」
「仕方がないわ。カリファ、どうするの。帝都に逃げ込まれてると厄介だわ。もう遅いし、一旦戻るのも手よね」
「人ひとり抱えて洞窟を抜けるのは難しいだろ。とにかく様子を見に行ってみようぜ」
「気持ちはわかるわよ、でも」
「避けろ!」

ジェイトとリュシアンの口論を遮ったのは、カリファの鋭い警告だった。木立の間から踊り出るトゲ狼。とっさにリュシアンを突き飛ばしたジェイトは突進をもろに食らい、足を滑らせて崖から落ちる。リュシアンの悲鳴が耳を貫いた。

崖自体がそれほど高さが無かった上、雪が下に溜まっていたことが幸いした。落ちた衝撃で息をつまらせたジェイトは、しばらくは動くことができなかったが、どうやら骨折のような体の違和感はない。
立ち上がろうと身を起こすと、背中の骨がぎしぎしと音を立てた。

崖の上にリュシアンとカリファの姿は見えなかったので、下って来る道へ進んだのだろう。ひょっとすると、自覚がないだけで少しの間気を失っていたのかもしれない。ジェイトひとりでは道もわからない以上、ここで待つのが得策か。

ざくり、と雪を踏む足音が聞こえ、振り返ったジェイトの視界に、仲間のどちらでもない人物が映る。夜目にも鮮やかな白い髪と赤い瞳。

「クォーツ」
「ジェイト? 君、なんでこんなところに」
「……それはこっちのセリフだ」

一歩そちらへ進んだところで、ふらりとバランスを崩すジェイト。手を伸ばしたクォーツが、すんでのところで受け止めた。

「どうしたの、また貧血?」
「いや、それお前のせいだから。……崖から落ちた」
「座って!」

木の根元へ強制的に座らせたジェイトの手や足に触れ、クォーツは軽くため息をついた。

「良かったね、怪我はしてないみたいだよ」
「ああ、助かる」
「なんで普通に立ってたのさ……。まあいいや、無事だったんだし。あの子は? ティセリーちゃんだっけ?」
「今探してるところだ」
「もー、またなんか訳ありなんだね?」

子どものように頬を膨らませるクォーツ。前回も、彼には随分と世話になった。

「おれだけ崖から落ちたから、仲間が追いつくのを待ってる。お前は、なんでこんな北東の山の中をうろついてるんだ?」

以前会ったのはノクトレスなので、ちょうど世界の反対側である。まさかこんなところで再開するとは思わなかった。
ジェイトの目の前に膝をついたクォーツは、照れくさそうに赤い瞳を細めて答える。

「ジェイト、極北の反政府組織って知ってる?」
「……それをお前に話したのはおれだからな」
「そうだっけ? まあいいや。僕はそのリーダーを探しにきたんだ」
「なんでお前が?」
「彼を殺すために」

その言葉を、ジェイトは聞き違えたのかと思った。

「は?」
「反政府組織のリーダーを殺すために来たって言ったんだよ」

変わらない笑顔で繰り返すクォーツ。

「反政府組織って、今の中枢政府に反抗しようとしてるんでしょ? リーダーを殺せばそれも止まるよね」
「いや、ちょっと待て、お前。冗談きついって」
「冗談でこんなこと言わないよー。やだなぁ、ジェイト」

あくまで朗らかな口調だが、その内容は過激である。彼が本気で言っているのを察したジェイトの背に、この寒さの中だというのに汗が伝った。

「なんで、お前がそんなこと」
「今の世界を壊そうとする奴は、みんな僕の敵だ」

すっと顔から笑みを消すクォーツ。

「僕は、今の世界を守りたいんだ。そのためならなんでもするよ。それって、そんなにおかしなこと?」

限度がおかしい、という言葉を、ジェイトは悩んだ末に飲み込んだ。頭のネジが多少飛んでいるのは知っていたが、この思考回路は自分の理解を超えていた。
代わりに、そっと聞いてみる。

「それ、今じゃなきゃ駄目か?」
「早い方がいいと思うけど、なんで?」
「仲間が、ティセリーがそいつを探してるんだ。そいつに会うために、ずっと旅をしてきたんだ。会わせてやれるまで、待ってくれないか?」
「うーん……」

ばっさり切って捨てられるかと思ったが、意外にもクォーツは真剣に悩み始めた。

「ジェイトは、会わせてあげたいんだね?」
「ああ」
「じゃあ、仕方がないな。今回は待ってあげる」

再び満面の笑顔を浮かべて、クォーツは頷く。

「ありがとう、クォーツ」
「た、だ、し」

続きがあった。あまりこうした交換条件に良い記憶のないジェイトは、思わず身構える。

「狼の血って不味いんだよね」
「ああ、何、血ぃ吸わせろってこと?」
「やったね! ありがと、ジェイト!」
「貧血にならない程度にしてくれよ」

1度目は驚きも恐怖もあったが、わかっているならなんてことはない。マフラーを外したジェイトの首筋に、クォーツは小さなナイフを押し当てた。

「わかってるって。それじゃ、いただきまーす」

異物が差し込まれる感覚がわずかにして、開いた傷口から血を吸い始めるクォーツ。少しだけ薄ら寒いように思ったが、それだけだった。しばらくして、満足したらしい彼が口元を拭う。

「はい、ごちそうさまでした」
「もういいのか?」
「うん。前回みたいに飢えてないからね。傷、治しておくよ」

クォーツの青彩式が真新しい傷を癒した。

「君、痛くないんだね」
「……よくわかったな」
「さすがに、切られて眉一つ動かさないんじゃね。僕とお揃いだ」
「え?」

問い返したジェイトだが、その時ちょうど遠くからリュシアンの呼び声が届いた。クォーツが舌を出してみせる。

「いけね。それじゃ、約束通り僕は帰るよ。またね、ジェイト」
「おい、クォーツ! お揃いってどういうことだ」

それには答えず、彼はさっさと立ち上がって森の中へ消えていった。時を同じくして、反対側からリュシアンとカリファが姿を現す。
白い息を吐きながら、こちらの姿を認めた2人が駆け寄ってきた。

「大丈夫? 怪我はない?」
「……ああ、油断してた。悪い」

軽く手を上げて応えるジェイト。ほっとしたような顔を見せるリュシアンとは逆に、カリファは怪訝そうに腕組みをした。

「本当に平気か?」
「怪我はねぇよ。動ける」
「しかし……、お前、顔が真っ青だぞ」