第15話

 

勇哉が運んできてくれた冷たい烏龍茶で口を湿すと、慧哉は再び微笑みを浮かべた。

「さて、改めまして毎度おなじみの三条慧哉です。あ、もしかしてそれほどおなじみでもない?」
「え、いえ、知ってます。次のドラマも楽しみにしてます」
「それにしては反応が薄いね・・・・・・」
「あー、先に勇哉さん見ちゃったので・・・・・・」

加えて、入室時の漫才のようなやりとりのせいで、驚くタイミングを失ってしまったというのもある。

「やっぱりだよ、勇。こういう時に双子っていけない。女の子にきゃーきゃー言ってもらえるのが芸能人の役得なのに!」
「知るか」

大げさな慧哉の憤慨から、再び漫才が始まる。賑やかな兄弟だった。

聞くともなしにそれを聞いていた絢世の袖を、右隣に座った杏輔がぐいと引き寄せた。

「絢、何のんびりしてる。とっとと用事だけ済ませて帰るぞ」
「えー、せっかく来たのに。キョウちゃん、勉強したいなら帰っても大丈夫だってば。どうせ説明手伝ってくれないじゃん」

ぷい、とそっぽを向く絢世。その向こうで眉尻を下げた翠羽には、安心できるようにと笑いかける。

漫才ついでに、結局勇哉から大まかな話を通してくれたらしい。「なるほどねぇ」とひとりで納得しながら、慧哉はソファの背に身を沈ませた。

「翠羽、だっけ?」

名を呼ばれて、ぱっとそちらへ顔を向ける翠羽。
その彼に対し、試験管を見る科学者のような目で、慧哉は自分の顔を指して言った。

「僕のことは、なんて?」
「・・・・・・しゅぎょく」
「ふぅん」

それだけ聞くと、興味を失ったかのように彼は瞼を閉じてしまった。
おろおろする翠羽に、絢世が代わりに食い下がる。

「あの、やっぱり信じてもらえませんよね」
「まあねぇ、普通は信じないよね」

淡々と紡がれる言葉。だん、と足音を響かせて、杏輔が立ち上がった。

「もういいだろう、帰るぞ」
「待って、キョウちゃん。もうちょっとだけ・・・・・・」
「充分待った。立て。・・・・・・翠羽、来い」

絢世の腕を掴んで無理矢理に引きずりあげると、杏輔は暇乞いもせずに玄関へ向かう。痛いほどではないが、抵抗は許さないと手の力が言っていた。

ついて行くべきか迷っている顔の翠羽。
気まずそうに瞳を逸らす勇哉。
そして、慧哉。
次の機会なんてあるかどうかわからない。

その慧哉が、にい、と口元を歪ませた。

「・・・・・・信じてあげてもいいよ?」

杏輔の足も止まる。

「おい、貴様さっき信じないと」
「信じるっていうか、納得するっていうか。お話としては面白そうだしねぇ」

不審気な杏輔の視線を、挑発的な笑みを浮かべたまま真っ向から受け止める彼。
横から勇哉が、おそるおそるといった風に問いかける。

「慧哉、何企んでやがる」
「おや、何か企んでいるように見えるかい? 面白そうってだけじゃ、動機として足りないかな?」
「割に合わないっていうだろ、お前なら」
「じゃあ、割を合わせようか」

にっこりと満面の笑みを浮かべた兄に、勇哉が端から見ても分かるほど青ざめた。

「交換条件だね? 悪いねぇ、うちの弟が僕を信じてくれないばっかりに」

ちゃっかり責任を彼に押しつけつつ、慧哉は笑顔を浮かべてこちらに向き直った。
その姿がまるで大魔王に見えるのは気のせいか。

「そうだなぁ、じゃあこうしよう。君たちの言うことを信じて一緒にその翠羽に騙されるかもしれない、っていうリスクと引き替えに」

大魔王は腰を上げた。
阻む者も居ないリビングを通り抜け、絢世の前に立つ。

「僕は君が欲しい。どうだろう?」
「・・・・・・は?」
「まぁ何? 言い方大仰だけど只の告白だよ、これ。一目惚れしましたー、僕とつき合ってくださーい、みたいな」
「・・・・・・えぇ?」

突然自分が話の中心に巻き込まれ、絢世の思考が停止する。

「ふざけるな!」

先に杏輔が爆発した。
二人の間に荒々しく割り込むと、楽しそうな顔の慧哉を正面から睨みつける。

「欲しいだのなんだのうるさいが、絢は物ではない、人間だ! そして憲法は国民に基本的人権を認めている。名探偵とやらはそんなことも知らないんだな!」
「・・・・・・えっと、夢を壊しちゃって悪いけど、僕は役者であって、本当の名探偵じゃないんだよ」
「そんなことは知っている!」

火に油を注ぐ慧哉。わざとだろう。

「そう。じゃ、改めて聞くけど、君が言いたいのって、人は人を束縛してはいけないってことだよね?」
「そうだ。だから交換条件だなどと言っても、貴様に従う義務は絢には無い」
「君に従う義務も無いってことだよね」
「・・・・・・何?」

高圧的な杏輔の態度が揺らいだ。
慧哉はにっこりと微笑んで、舞台の台詞を読み上げるように、高らかな調子で畳みかける。

「君が自分で言ったんじゃないか。何者にも侵されない自由の権利。僕であれ君であれ、彼女を隷属させることなんかできないと」

クローヴィスほど身長は無い三条兄弟だが、やはり杏輔が小柄すぎるせいで、結局彼は今も相手を仰いでいる。絢世の視界にあるのは、柔らかな髪色の後頭部だけ。

翠羽も、見かねて身を浮かしかけていた勇哉も、動きを止めて事態を静観していた。

「彼女は君の何なの?」

慧哉の声が核心を突く。
あくまで口調は優しく、しかしそれは相手を責めるための、剃刀のように薄く鋭い言葉だった。

「・・・・・・絢は、僕の」
「まさか手駒とか言わないよね? あれだけ人権主張しておいてさ。友達だって恋人だって、一方的に相手を服従させようとする関係はそう呼ばないよ。・・・・・・わかったら、僕の告白の邪魔をしないでくれるかな」

障害を押しのけるためにか、酷薄な光を瞳に浮かべた慧哉が手を差し伸べてくる。白く、細い指。
しかし、今の杏輔ではその指で触れられただけでも壊れてしまいそうに思えた。

「・・・・・・友達からでよければ」

とっさに絢世は、伸ばされた慧哉の手を強く掴んでいた。

「・・・・・・絢」

頬のすぐ横で、音のない声が紡がれる。
今はその言葉をおとなしく聞いていられない。

「よせ、絢・・・・・・」

心の中で彼に謝りながら、絢世は握った手のぬるい体温を感じていた。

一方、障害を排除することなく目的を達成したはずの慧哉は、この展開に意表を突かれたようだった。

「・・・・・・OKして頂けたのかな?」
「えっとー、さすがに初対面でいきなり恋人って難しいので、まずはお友達からで
どうでしょうか?」

おどけるように軽く舌を出してみせると、一度手のつなぎ目に視線を落としたのち、慧哉は苦笑を浮かべた。

「これは手強いなぁ。ま、一歩前進したからいいか。交渉成立だね」

アドレス交換しようか、と言って慧哉は、すたすたとドアをくぐって廊下へ消えた。
しかめっ面の勇哉がそれを追って部屋を出る。

ぬるい体温の残る手で、自分の携帯電話を取り出す絢世。
逆の指に、それとは違う温度が触れた。
手が熱いのはいつも怒ってるからだよ、と何度もからかって笑った、絢世よりも高い杏輔の平熱。

「絢、僕は・・・・・・」
「別に、呼び方とかあたしには関係ないし」

振り向かない襟足に、ゆっくり語りかける。

「慧哉さんが違うって言っても、あたしは勝手に、キョウちゃんは友達ですって言うよ。キョウちゃんも勝手に言えばいいよ。言うだけならタダじゃん」
「・・・・・・お前は」

僕の駒だ。
お決まりの言葉は弱々しくかすれていたものの、絢世は「それでもいいよ」と温かな手に自分の指を絡めるのだった。