第34話

 

絢世が、朝走り去ったきり、HRにもその日の授業にも姿を見せなかったと聞いて、杏輔は背の高い麗人を睨み上げた。
夕暮れの教室に、他に人気はない。クローヴィスは保健室にも顔を出してみたというが、そこにも絢世の姿はなかったという。

「……具合を悪くして、家に帰ったとか」
「それにしては、何の連絡もないのはおかしいだろう。神崎、お前のところにも何もないのか」
「僕は……」

今のこの状態で、絢世は自分に連絡を入れてくるだろうか、と思うと、自信は無かった。むしろ、彼女に一番避けられているのは杏輔である。

杏輔にとって絢世は友人であり、理解者であり、唯一の存在だった。そんな今までの関係でも充分事足りていたはずだった。それがおかしな具合になったのは、慧哉という存在が現れ、彼に自分のものを横取りされるのが脅威だったからだと、最初はそう思っていた。

慧哉が恋人というスタンスで絢世に迫っていなければ、こんな感情にはならなかったのかもしれない。ところが、彼女が恋人を選ぶかもしれないという事態に陥った時、杏輔はなぜそれが自分ではないのかと、強く感じたのだった。

それからはもう、駄目だった。今まで何の気なく眺めていた表情のひとつひとつや仕草に、気づかなかった女らしさを意識してしまうようになり、まともに顔をあわせるのさえ苦労した。

それでも、傲慢な自分は、気持ちを打ち明ければ彼女は応えてくれるはずだと、どこかで決めつけてはいなかっただろうか。膝枕なんて大胆な真似をされ、おまけに男として見られていないとはっきり告げられてしまい、カチンときた勢いで言ってしまった先日の告白は、確かに失態ではあった。しかし、それが拒絶されようとは、杏輔は夢にも思っていなかったのだった。

今となっては、取り返しのつかないミスである。

大きなため息をついた杏輔に、そんな事情は知りもしないクローヴィスが首を傾げた。

「……とにかく、家に戻っていないか確認が先でしょう。そっちは先生が連絡してください。僕は黒姫に……」

その時、からりと教室の後ろのドアが外から開かれた。
反射的に振り返った杏輔の目に、夕焼けに照らされた長い黒髪がさらりと揺れる。
絢世だった。俯いたその表情は伺えない。

「……絢、お前今までどこへ……」
「待て、神崎。様子がおかしい」

歩み寄ろうとした杏輔を、緊張した面持ちのクローヴィスが制止する。よく見ると、絢世は右手になぜか大ぶりのカッターナイフを握っていた。

「……おい、何のつもりだ」

問いただす杏輔には答えず、顔を上げた彼女は虚ろな瞳にクローヴィスを捉えた。
チキチキ、と刃を繰り出す音。

「……やっと、見つけた」

そのまま彼女は、クローヴィスに向けて駆け出すと、カッターナイフを振りかぶった。一切のためらいのないその一撃に、目を見張ったクローヴィスが身を反らせて刃を避ける。
が、彼が取り乱したのはその時だけで、一瞬の後には絢世の手からカッターナイフを叩き落とすと、教室の端までそれを蹴り飛ばした。
武器をなくした絢世が、表情を強張らせる。

「……萩野、何があったかは知らないが、突然人に刃物を向けるものではない」
「あ、あなたがそれを言うの! 紫響を殺した、あなたが!」
「……萩野?」

絢世はぱっと身を翻すと、カッターナイフを拾い上げ、再びそれをクローヴィスへ向ける。刃先は小刻みに震えていた。

「あたしは、あなたを許さないって決めたんだから。あたしたちを騙して、紫響も、みんなも殺してしまったのはあなたでしょ、リェール……!」
「なぜ、お前がその名を」
「その理由は、私から話すよ」

訝しむクローヴィスと絢世の間に、鮮やかな青い光が差した。強烈な眩さが収まった時には、その場に見覚えのある琥珀色の髪の少年と、初めて見る顔の青年が姿を現していた。

翠羽は、周りを取り囲む杏輔たちに目をやり、それからカッターナイフを構えたままの絢世に向けて悲しげに微笑んだ。

「……久しぶり、白羚」