第35話

 

「……翠羽? 貴様、何を言っている。それは絢ではないのか。そもそもなぜ言葉が通じるんだ」

立て続けにまくし立てる杏輔に、翠羽はきょとんと目を丸くして、隣に立つ青年を見上げる。

「……影月」
「感受の力だ。言葉通じねぇと不便だろ」
「何をごちゃごちゃと……。その前に貴様は何者だ!」
「そいつは俺が聞きてぇんだがな。ま、今はそんなことはどうでもいいだろ」

影月と呼ばれた浅黒い肌の青年は、よく見れば奇妙な姿をしていた。獣のように毛の生えた大きな耳と足を持つ彼は、しかし、自分のことを説明する気はないらしい。代わりに話せとばかりに、翠羽の肩を前へ押し出した。

翠羽は、戸惑うことなくまっすぐに、絢世の姿をした彼女と向き合った。

「白羚、私は、君を止めるために来たんだ」
「あたしを、止める?」

頷く翠羽。逆に、彼女は目に見えて狼狽えたようだった。

「君がリェールを殺すなんて駄目だ。そんなことしたら、君が傷つくことになる。私だってそんなのは見たくない」
「……でも、黒の一族はみんな敵だって、あの人が……」
「あの人、なんてどうだっていいんだ。白羚がどう思ってるかの方が大事だよ。君は、紫響さんもリェールも、どっちも同じくらい大切だったんでしょう?」

ついに、彼女は黙り込んで俯いてしまった。翠羽が、幼子を諭すように、ゆっくりと彼女の頭に手を伸ばす。
しかし。

「来ないで!」

叫んだ彼女は、握り込んだカッターナイフの刃を自らの首筋に添えた。

「白羚!」
「絢!」

止めようと身を乗り出しかける杏輔だったが、彼女が手に力を込めるのを見て、慌てて踏みとどまる。

「白羚、やめて。アヤは関係ないんだ」
「関係なくなんてない。この人だって黒の一族でしょ。黒の一族は滅ぼさなくちゃいけないの。それが、力を手に入れた、あたしのやるべきこと」
「貴様、ふざけるな! 絢の体に傷でもつけてみろ、僕が許さんぞ」

訳のわからない理屈を語る少女に、杏輔の怒りが爆発する。彼女はびくりと肩を震わせたものの、刃を持つ手を緩めはしなかった。

「……白羚、といったか」

緊迫した空気を打ち払ったのは、いつもと変わらず冷静なクローヴィスの声だった。

「……リェール」
「お前のことを、私は覚えていない。紫響という名にも心当たりはない」
「覚えて、ないの……?」
「ああ、すまないな」
「嘘……」
「白羚、それは……」

翠羽の弁明も待たず、彼女はその場にへたり込んだ。かと思うと、そのまま糸が切れたかのように倒れ込んでしまう。体から白い光がふわりと抜け、頭上に留まった。

駆け寄った杏輔が抱き起こすと、程なく彼女は目を覚ました。

「……う、キョウちゃ……、ん……?」
「絢か、よかった……」

ひとまずは胸をなでおろす杏輔。遅れて駆けつけた翠羽とクローヴィスも、ほっとしたように目配せを交わすのが見えた。

一方、集まった光の粒子は輝きながらその場へ三日月に似た紋様を形成する。そして、目を焼くほどの光を放った後、一人の少女の姿を残して消滅した。
淡い色の長い髪を三つ編みにした、壊れてしまいそうに華奢な少女だった。薄いグレーの瞳は呆然としたように見開かれ、クローヴィスに向けられている。

「白羚……」
「……翠羽ぁ」

翠羽の呼びかけに、ゆっくりと焦点を結んだ少女の目から、大粒の涙が溢れ出した。