第36話

 

泣きじゃくる白羚の頭を優しく撫でる翠羽。その姿は、仲の良い兄妹のようにも絢世には見えた。

白羚に体を操られていた時も、絢世に意識が全くなかったわけではない。むしろ、彼女の思考に同調していたのか、その感情は実感を伴って絢世の中に流れ込んできていた。
クローヴィスに刃を向けた時から、彼に忘れられてしまったと知るまで、白羚には悲しみと絶望しか存在していなかった。
重く暗いその感情が、今は解けているといいな、と絢世は思う。

「よかった……」

と、無意識にこぼした言葉を拾ったのは、それまで事態を静観していた獣耳の青年だった。

「まだだ。大事なのはここからだぜ。俺たちはこれから、あいつをどうにかしなきゃなんねぇんだから」
「どういうことだ」

尋ねたクローヴィスに、口角を吊り上げた影月が答える。鋭い牙が覗いた。

「あんたは覚えてねぇだろうが、あんたの国を滅ぼしたのは白羚の得た、闇の女神の呪いの力だ。国ひとつ容赦無く崩壊させられる力を、俺たちは管理者として、放っとくわけにゃいかねぇんだよ。だから俺は、翠羽に覚悟しとけって言ったんだ」
「覚悟、とは」
「白羚を殺す覚悟を」

薄荷色の冷たい目を、寄り添う二人に注ぐ彼。ようやく泣き止んだ白羚は、翠羽の言葉に耳を傾けているようだった。

「ど、どういうことだ。どんな理由があれ、人殺しが許されるわけないだろう」
「もうじき、白羚の中の月が満ちる。そうなればこの国はそこの先生の国の二の舞だ。お前たちもみんな死ぬぞ、いいのか」

食ってかかる杏輔に、影月は頭痛を堪えるような表情で答えた。その理由は、絢世や杏輔にはいまいち理解し難いものではあったが。
クローヴィスが食い下がる。

「何か他の対処法は無いのか」
「俺たちも探しちゃいたんだが、とうとうここまで来ちまったからなぁ」

胸の前で組まれた白羚の右手に、白く浮かぶ円が刻まれている。円は完全ではなく、ちょうど満月に近づいた月のように少しだけ欠けていた。
綺麗なアクセサリーにも見えるそれが、白羚の華奢な手を締め付けているようで、絢世の胸が痛んだ。

「時間切れだ。翠羽、選べ」

影月の周りに、赤い光が集まり始める。彼はいつのまにか、美しい彫り物が施されたごく短い刀をその手に握っていた。
振り返った翠羽の顔を、赤い光が染め上げる。

「お前がこれで白羚を殺すか、それとも」

赤い紋様が輝いた。

「……それとも、妾が魂ごと消しとばしてくれようか」

収束した光の中には、大きな赤い翼を持つ女性が浮かんでいた。端麗な顔に物騒な笑みを宿した彼女は、ふわりと長い髪をなびかせ、影月の隣に舞い降りる。

「……明紅さん」
「妾はどちらでも良いのじゃぞ、翠羽。闇の女神の力さえ消えれば、小娘一人の魂の行方などどうなったって構わん。魂だけでも救ってやりたいとのたまうなら、お主が手にかけてやるんじゃな」

緑の瞳に隠しようのない動揺を浮かべた翠羽へ、畳み掛けるように明紅が続ける。顔を俯けた彼は、しばらくたってから震える手で影月から刀を受け取った。

「翠羽……、あたし、死にたくない」
「うん、……ごめん、白羚」

白羚がよろめきながら、翠羽から一歩、二歩と距離を取る。翠羽の手が鞘を払い、刀身が夕焼けの光にきらめいた。剣道場で勇哉の相手をした時のことを思うに、彼の剣の腕前は相当なものだ。きっと、過たずに白羚の命を刈り取ることだろう。
絢世は思わず目を伏せ、密着したままの杏輔の胸に顔を埋めた。