第37話

 

「……できないよ」

ぽつりと呟く翠羽の声。

「私には、できない。白羚に死んでほしくないんだ」

翠羽が手放した刀が、カランと音を立てて床に落ちた。そのまま彼は、白羚をかばうように背にして有翼の女神に相対する。
固い決意に満ちたその表情に、明紅が眉を吊り上げる。

「他の方法を探したい。時間稼ぎでもなんでもいいから」
「ない、と言っておろうが。見た目と裏腹に強情な奴じゃの。本当に消しとばすぞ」
「明紅さん……」

本気であることを示すように、明紅が伸ばした指が宙に紋様を描く。呼応するように白羚の周囲で赤い光が瞬き出した。光は、檻のように少女を取り囲んで、翠羽と彼女を無理矢理に引き剥がす。

「明紅さん、待って……!」

冷酷な声が最後を告げる。

「さらばじゃ、白羚。そして桜緒よ」

赤が輝きを増し、目を焼くほどの光を残して消える。その場の全員が目を伏せた。
そして、恐る恐る絢世が視線を上げると、白羚は変わらずそこへ立っていた。

「……どういう、こと?」

ふらり、とへたり込む白羚を支える翠羽。明紅はそんな二人の姿を見て、顔をしかめる。
そんな彼女の目前へ、青い光が集まった。白い顔にちらちらと炎のような青が映る。

「……忌々しい。最後の最後に登場というわけか」
「ああ、遅クなっチまっテ悪カッタな、紅」

現れたのは、太陽と月を足して割ったような抽象画だった。それが宙に浮き、聞き苦しい電子音声で喋っている。
明紅は突然現れたその抽象画に驚くでもなく、心底嫌そうな口調で毒づく。

「……ふん、ガラクタなんぞの出る幕は無いわ。とっとと去ね」
「そう言ッテクれるな。せっカクコの全知全能の凍凪様ガ、どうにカしテやろうッテんダカらさ」
「凍凪さん!」
「よう、翠羽。もう大丈夫ダぜ。俺に任せテおケ」

凍凪というらしい抽象画は翠羽にそう呼びかけると、滑るように宙を移動して絢世と杏輔の隣で止まった。杏輔が絢世を抱く腕に力が込もる。

「はは、そう警戒すんなや。お前タチを巻き込んじまッテ悪カッタな。望むなら、今回の件にツいテの記憶を消しテやッテもいいガ、どうする?」
「……ふざけるな。説明をするならまだしも、記憶を消すだと?」
「そうだな、私も解説が欲しいと思っていたところだ」

絢世にしたって、自身が危うくクローヴィスを傷つけるところだったことも含め、わからないことだらけなのは気持ちが悪かった。杏輔だけでなく、歩み寄ってきたクローヴィスにまでもそう要求され、しかし、抽象画は悩むようなそぶりを見せる。

「今はそコまデの時間ガねぇカらなぁ」
「時間、って、白羚ちゃんの月がどうとかいう?」
「それも訳がわからんのだがな」

だが、影月の話によるとその時間が切れると国が滅ぶようなことが起きるらしいというので、他人事ではない。
しばし悩んだ末、抽象画は明るい声を出した。

「それじゃ、あんタの記憶を返しテやるよ。望む奴らには後カら説明しテやんな」
「私の記憶を?」

本人に是非を問う間も無く、クローヴィスの周囲を青い光が取り囲んでいく。光はその体に吸い込まれるように消えたが、収まった直後に彼はぐらりと膝をついた。

「先生!」
「……大丈夫だ。なるほど、これが『リェール』の記憶か」

こめかみを押さえた彼は、一度大きく息をついてその場に立ち上がった。

「凍凪といったな。おかげで大切なことを思い出せたようだ。記憶を返してくれたことに感謝する」

苦しげながら薄く笑みを浮かべて見せたクローヴィスへ満足そうに大きく頷くと、抽象画は宙を舞って翠羽の側へ浮かんだ。

「翠羽、お前は諦めガ悪りぃな」
「……よく言われる」
「良いコトダぜ。そんなお前なら、俺の考えタ最後の手段にも希望を見いダせるカもしれねぇ」

最後の手段、と聞いて、翠羽が瞳を輝かせる。そんな彼の様子に、凍凪は耳障りな声で笑った。

「聞クカ?」
「もちろん」
「よし。……俺タチは普段、お前達の暮らす世界ト、あの世ト呼ばれる世界の合間カら、お前達の世界を監視しテいる。俺タチはそコを狭間ト呼んデいる」

解説を始めた凍凪の背後で、明紅が不機嫌そうに息を吐いた。影月を含め、彼ら3人はやはり神様のような存在らしい。

「その狭間に、闇の女神を封じテいタフラスコガある。それを再稼働させ、白羚を呪いの力ゴト封印する」

厳かな口調で告げられた、最後の手段。
翠羽は一転して黙り込んでしまった。そんな彼を、不安そうに白羚が見上げる。

「……再稼働にお主の力をどれだけ食うか、わかった上で言っておるんじゃろうな」
「俺の力ダ。使い方に誰カの指図を受ケる気はねぇよ、紅」

独り言のような明紅の言葉を、凍凪は笑って一蹴した。

「……封印されると、白羚はどうなるの」
「他の解決法ガ見ツカるまデはフラスコの中ダ。外ト話すコトグらいはでキるガ」
「それなら……、死んでしまうよりはずっと良いね」

翠羽は、ふわりと微笑みを浮かべた。

「私は、白羚が出てくるまで待つことはできる?」
「それならお前も狭間へ来い。白羚の隣で待っテやれ」
「ありがとう、そうするよ。……白羚もそれで良い?」
「あ、あたしは……」

しばしためらいを見せた彼女は、やがて翠羽の腕をとって小さく頷いた。

「翠羽が、一緒にいてくれるなら」

凍凪が再び宙に舞い上がると、周囲に青い光を浮かべる。それは翠羽が初めて姿を現した時と同じ、歯車に似た紋様を描き出した。

行ってしまう、と察した絢世は、杏輔の腕の中から立ち上がると、寄り添い合う翠羽と白羚の元へ歩みを進める。
振り返った翠羽が綺麗な笑みを浮かべた。

「ありがとう、アヤ、キョウ。二人には本当にお世話になっちゃったね」
「あたし達は大したことはしてないよ。それより、本当に良いの?」
「良いんだ。私は白羚を守るっていう約束が守れるし、それに凍凪さん達が、白羚が出られるようになる方法を考えてくれれば、いつかは一緒に出られるかもしれないし。そうしたら、またお礼を言いにくるよ」

彼の笑顔が眩しい。絢世は視界をにじませ始めた涙を拭うと、差し出された手を取った。

「……また会おうね」
「うん、必ず」

紋様が輝き始めた。明紅と影月がそれぞれ光をくぐって姿を消す。この先が、恐らく狭間と呼ばれる空間へ繋がっているのだろう。

そちらへ踏み出しかけた翠羽を、クローヴィスが呼び止める。

「翠羽、すまなかったな。白羚を守ってくれたこと、感謝する」
「約束だったからね」
「ああ。……それと、白羚」

びくり、と肩を震わせた彼女の頭に、クローヴィスが優しく手を乗せる。

「お前のことも、紫響のことも、ずっと忘れていてすまなかった。お前が出てこられたその時は、今度こそお前を幸せにすると、約束する」

見上げる白羚の大きな瞳にみるみるうちに涙が盛り上がる。翠羽の手を離した彼女は、クローヴィスの長身に飛びついて大声をあげて泣き出した。