第39話

 

「えっ、ほんと?」
「どうした、絢」

帰り道、突然足を止めた絢世に、先を行く杏輔が振り返った。
液晶が映すのは勇哉とのメッセージ画面。そこに、衝撃的な言葉が並んでいる。

「勇哉さん、橙珂さんとお付き合いするんだって」
「お前、また早とちりしていないか?」

細かく言えば、勇哉は橙珂を守る存在になりたいと彼女に告白し、「あたしの下僕になりたいってことね?」と返され、困惑して相談してきているのだが、あの二人ならそういうことでいいように思えた。喜ばしいニュースに、杏輔の呆れ声も気にならない。

橙珂の家を訪れた時のことを思い出し、思わず絢世の顔がほころぶ。考えてみれば、初めて彼女と会った時から、勇哉は橙珂に惹かれていたようだった。

「いいよね、お似合いだもんね」
「三条勇哉が苦労するのが目に見えるようだが」
「勇哉さんなら大丈夫だと思うよ」

初デートとも言える駅ビルでの買い物では、橙珂のわがままに振り回されつつも、しっかり者の彼がフォローをする関係が成立していた。一人納得して頷く絢世。
ため息をついた杏輔の眼鏡が、夕焼けの光を反射してきらめいた。

「お前はどうなんだ」
「え、あたし?」
「三条慧哉とはしばらく会ってないんだろう?」
「あー、あのね、キョウちゃん」

翠羽と白羚が狭間へ消えて一週間。その間に、慧哉との関係は大きく変化していたのだが、声を大にしていうことでもないような気がして、杏輔には伝えずにいたのだった。

「慧哉さんとは、お別れしたの」

もともと、翠羽の話を信じてもらうための引き換えとして、絢世は慧哉と付き合うことになったのだ。その翠羽がいなくなってしまった段階で、この交換条件が無効になったと告げてきたのは慧哉の方である。
僕は続けたいけど、どうする? と笑顔で問われ、絢世は首を振ったのだった。

「今後もいいお友達でいようねって言ってくれた。やっぱり、傷つけちゃったかな」
「それはお前が気に病むことじゃない。本心を伝えてやるのが一番誠実だ」
「……本心」

絢世を置いて歩き出す杏輔。翠羽の件があって以降、この距離感は元どおりの居心地の良いものに戻っていた。このまま平穏であればそれで良いと、絢世はそう思っていた。
しかしそれは、起きてしまったすれ違いから目を背けているだけなのだと、杏輔はとっくに気づいていたのだろう。

「……この間はごめんね、キョウちゃん」

遠ざかり始めていた背中が止まる。

「あたし、びっくりしちゃって、ちゃんと答えもせずに逃げ出しちゃった。本当にごめん」
「……構わん。僕も唐突すぎた。……悪かった」
「それで、……あたし、やっぱりキョウちゃんの恋人にはなれない」
「……そうか」
「その代わり、友達だって思うのもやめにする。あたしの中で、キョウちゃんはキョウちゃんだから、友達とか恋人とか、他の言い方でくくるのはやめにしようと思うの」

それは、友達とも恋人とも違うけれど、互いに思い合う翠羽と白羚の関係を見て感じたことでもあった。

振り返った杏輔が眉をひそめる。

「僕にわかるように話してくれないか?」
「わかんなくったっていいよ。あたしが勝手にそう言うだけ。言うだけならタダだもん」
「なら僕も勝手に言わせてもらうが」

頬を膨らませた絢世の元へ、彼は足音も高く歩み寄ってきたかと思うと、強くこちらの手を掴んで引き寄せた。いつかと同じ、熱い体温に手のひらが包まれる。

「お前は僕の駒だ。僕のものだ。他の誰かのものになるなんて承知しない。いいな」
「いいよ」

真剣な顔の彼へ微笑み、握り返した手を繋いだまま、絢世は杏輔の隣へ並んだ。

いずれは今度こそ絢世が恋人を得るときも来るのかもしれないし、逆に杏輔の方が自分以外のパートナーを選ぶこともあるのかもしれない。それでもよかった。互いが一番大切である関係に変わりがなければ。

不意にくすくすと笑いをこぼし始めた絢世に向かって、杏輔が不審げな声を出した。

「なんだ、気味の悪い」
「なんでもないよ。ね、キョウちゃん。ずっと仲良しでいようね」
「……当たり前だ」

むすっとした顔の杏輔の手を引いて、絢世は歩き出す。そろそろバスの到着する時間だった。