第1話

 

「あぁ、全くなんでこんな日に見張りの仕事なんて……」

くじ引きで負けた己の不運を呪い、黄雅・閃は本日何度目かになる大きなため息をついた。

「まあまあ、兄さん、そう落ち込まないで。ほら、お菓子持って来てあげたから」
「お菓子なんかより、俺はあなたの活躍する姿が見られないのが一番残念なんですよ、翠羽」
「去年も見てるじゃん……」

はあ、と再び息をつくと、目の前に立つ弟の翠羽が呆れたような声を出した。

透き通った深い緑色の大きな瞳と、伸ばした髪と同じ琥珀色をした長い睫毛。
昔から、年の離れたこの弟が黄雅はお気に入りで、周囲から引かれる程度には可愛がっている。その彼の、年に一度の晴れ舞台だと言うのに、自分は国境沿いで一人寂しく見張りである。これが嘆かずにいられるものだろうか。

うららかな春の陽気は、柳藩をぐるりと囲む森を満開の花で飾っていた。このもっとも美しい季節に行われる春の祭りが、黄雅たち虹族の若者にとっては一番の楽しみである。翠羽の出る、藩対抗の競技「鈴取り」を観戦したり、豪勢な食事と酒に舌鼓を打ったりと、くじで負けさえしなければ自分もその輪に入れたはずなのに。

「俺、なんか女神様に嫌われるようなことしましたかね……」

ぼやきながらも、黄雅は翠羽が差し出す揚げ菓子に手を伸ばす。柳藩の女性たちが作る、この祭りのためだけの特別な揚げ菓子は、噛み締めると果物の甘みが口いっぱいに広がった。

「おいしい?」
「お酒持って来てください」
「仕事中でしょ。ダメに決まってるじゃん」

黄雅の冗談に口を尖らせる翠羽。弟のころころ変わる表情が面白く、黄雅はつい笑みをこぼした。

翠羽の背後に、ちらりと人影が揺れたのはその時だった。
とっさに、彼を自分の後ろに押し込む黄雅。揚げ菓子がぽろぽろと溢れて落ちる。

「……人が来るなんて、珍しい」

呟く翠羽の言葉通り、虹族の集落をよそ者が訪れることは滅多にない。あるとすれば、国境を接する帝国から逃げて来た犯罪者や、浮浪者の類である。その来訪者を帝国軍に引き渡すのが、たまにしかない見張りの役目でもあった。

危険な相手である場合もある。脇に立てかけた愛用の槍に目を走らせる黄雅だったが、近づいて来た来訪者の姿がはっきり見えると、思わず拍子抜けをしてしまった。

張り出した木の根に足を取られながら、頼りない歩みでこちらに近づいて来るのは、翠羽と同じくらいの少女である。それも、長い白金色の三つ編みは黒髪黒目の帝国人ではありえない。
だが、なぜこんな少女が、たった一人で、帝国に面した国境側からやって来るのだろうか。

丸い目を瞬かせる翠羽にじっとしているように指示すると、黄雅は少女の方へ足を踏み出した。
声が届く程度に距離を置いて、できるだけ怖がらせないように言葉を選ぶ。

「お嬢さん、ここを通るには許可が要ります。あなたはどこから来たんですか?」
「あ……、その……」

にこやかに話しかけたつもりだったが、少女は過剰にうろたえ、すぐに顔を伏せてしまった。しばらく待っても返事は返って来ず、そう気の長い方ではない黄雅は、腰を落として彼女の顔を覗き込む。

その顔を、黄雅は知っていた。

「……紫響さん?」
「兄さん!」

翠羽の鋭い声が響くと同時に、黄雅の首筋にひやりとした刃物の感触が押し当てられる。
背後に、いつのまにか背の高い男が立っていた。少女がぱっと身を翻して、その長身にしがみつく。

「……どちら様ですかね」
「通るには、許可が要ると言ったな」

耳に心地よい低音は、しかしこちらの問いには答えなかった。背後を取られたことの苛立ちと焦りをなんとか抑えつつ、努めて穏やかな声で返す黄雅。

「ええ、帝国軍の許可が要ります。でなければ、あなたたちには帰っていただかなくてはいけません」
「それは困る。なんとかならないだろうか」
「そう言われましても、ルールですからねぇ……」

感情のこもらない声で淡々と無理を言われても、困るのは黄雅だって同じである。ましてや、背後の男は自分の命を握っているわけなのだから、困るなんていう言葉で片付けないで欲しかった。

思わず頭を抱えたくなった黄雅の耳に、翠羽の悲鳴が届いた。
しまった、仲間がもう一人いたのか。
背後の様子はここからでは掴めない。弟の安否が気になって、反射的に立ち上がろうとする体に冷や汗が伝った。

「……それ、木苺の揚げ餅? わぁ、懐かしい! 一個ちょうだい?」

そんな、まるで空気を読まないのんびりとした言葉が、緊張していた空気を破った。
同時に、その女性にしてはやや低い声音に、黄雅の心臓が跳ね上がる。もう何年も聞いていなかった、懐かしいその声。

首筋の刃も忘れて、黄雅はそちらを振り返る。
木漏れ日に、長くうねる白金色の髪が柔らかくきらめいていた。大振りのサングラスで目を隠していても間違いない。翠羽の手から受け取った揚げ菓子を美味しそうに頬張る姿に、十年前の彼女の残像が重なる。

「……紫響さん」
「……、あれ? 黄雅?」