第15話

 

瞼を透かす柔らかな日差しに、白羚は閉じていた目をうっすらと開けた。
視界にはどこまでも遠い空が広がっている。しかしそれは見慣れた抜けるような青空ではなく、ミルクを溶かしたような白色をしていた。ところどころでちかちかと星のように瞬く光が美しい。

ゆっくりと身を起こす。自分が横たわっていたのも、空と同じ真っ白な花畑だった。薄い花びらだけでなく、葉も茎も全てが白い植物など初めて見た。と言っても、白羚の知っている世界なんて、研究所と、そこからリェールが連れ出してくれた場所だけなのだから、まだまだほんの一部だろうと思う。

研究所もここと同じで、全てが白い部屋だったが、床も壁も無機質で冷たい空間だったことは覚えている。そこで生まれた白羚はずっとそれが世界の全てだと思っていたけれど、リェールが見せてくれた研究所の外は、もっと色鮮やかだった。帝国の赤い石畳や夜空を彩るオーロラ、満開の桜に囲まれた中で舞う紫響の、薄紅色をした衣の裾。

周囲に、他の人影は無かった。途方にくれたように座り込んだ白羚を、迎えに来てくれる相手はどこにもいない。それでも、自分はいつも待っていることしかできないのだった。

「こんなところに迷子とは、珍しい」

不意に、背後から声がかけられる。振り向くと、いつの間にかただ白い花園の真ん中に、燃えるような赤い髪の女性が一人立っていた。
踏み出した足が、容赦なく白い花を潰す。長い衣服は紫響が神舞を行なった時のものとよく似ているが、色は着ている本人の髪と同じ鮮烈な赤。きらきらと輝く金色の耳飾りが揺れる。そしてそれ以上に目立つのは、彼女の背から生えた、大きな赤い翼だった。

黙ったままの白羚を見下ろし、女性は整った長い眉をひそめる。

「何か申したらどうじゃ。……影月、読めるか」
「読めねぇ、空っぽだ」

再び背後から、男性の声。こちらは黒い肌に黒い髪をした、軽装の青年だった。獣のような大きな耳が顔の横から生えている。

「ほう、この状況で怖がることも驚くこともないとは、なかなか肝の座った娘よの」
「いや、そうじゃねぇ。何か大事なものが抜けちまったって感じだぜ」

大事なもの。
ひどく取り乱したリェール。
黄雅の手に握られた、赤く染まったネックレス。あれは、リェールが紫響に贈って、彼女が肌身離さずつけていたものだ。

影月と呼ばれた青年が膝をつく。柔らかな緑色の瞳が、白羚の顔を覗き込んだ。

「ここは、人間の体にはあまり良くねぇところだ。早く帰ったほうがいい。帰り道を教えてやる」
「ふふ、お節介なことよの」
「放っておくのも寝覚めが悪いだろ」

ため息交じりにぼやく彼に、白羚の口から初めて言葉がこぼれ落ちる。

「……ここにいちゃだめ?」
「ああ? 言っただろ、お前のためにならない。待ってるやつもいるだろ、早く目を覚ましてやれよ」
「……ここにいたい」

頑なに繰り返す白羚の両目を、正面から透かすようにしばらく見つめてから、影月は諦めたように言った。

「戻ろうぜ、明紅」
「なんじゃ、つまみ出してやろうか?」
「あんたは乱暴なんだよ。しばらく置いてやったって構わねぇだろ。おっさんも俺と同じこと言うだろうぜ」
「あのポンコツの思い通りにするのは癪じゃが、……致し方ないかの」

あっさりと立ち去っていく二人。振り返りもしないその後ろ姿がずいぶん小さくなってから、白羚は再び花の間に倒れ込んだ。
目尻からとめどなく、涙が溢れて花びらを濡らした。