第2話

 

様子を見に来た同僚に見張りの任を押し付け、翠羽を鈴取りに送り出した黄雅は、晴れて文字通りお祭り騒ぎの街中を歩くことができた。
それでも浮かない気分なのは、同僚に酒を奢る約束をしてしまったからでも、結局鈴取りの観戦ができなかったからでもない。後ろをついてくる、人目を引きすぎる三人組が原因である。

もっとも注目を集めてしまっているのは、黄雅の知らない長身の男。年齢は自分とそう変わらないだろうか。大きく跳ねた艶のある黒髪に、洗練された白の軍服と帽子。腰に下げた長剣。表情を隠す黒塗りのサングラス。柳藩にいること自体が珍しい帝国人の彼は、その威圧感も相まって、街行く人々の視線を釘付けにしていた。

そして紫響である。もともとある理由から有名人でもあった彼女の久しぶりの帰還は、柳藩中の人々から喜ばれているようだった。今も、出店の主人からりんご飴を贈られて満足そうな笑顔を見せている。

もう一つりんご飴を手渡されて戸惑い顔の少女は、淡い灰色をした瞳の色を除けば、黄雅が最後に目にした紫響の姿と何度見てもそっくりだった。もっとも、彼女と比べて随分とおとなしい性格のようだから、狼狽えたりたじろいだりといったその表情は十年前の紫響とはまるで別物なのだが。

「……やっぱりどこかで座りましょう、紫響さん」
「えー、いいよ。お祭り見て回りたいもん」
「あなたは良くても俺は良くないんですよ、この状況。そもそもまだこちらの二人の紹介も受けてないんですけど」

振り返って抗議をする黄雅に、紫響は不思議そうな声音で返す。

「紹介って言っても、白羚は白羚だし、リェール君はリェール君だし」
「それを聞いていないと言ってるんです!」

ここでようやく、来訪者二人の名前が判明したのだった。
だが、それだけでは情報として足りなさすぎる。

「お名前はわかりました。……で?」
「でって?」
「……あなたに聞いても無駄ですね」

思い返せば、昔からこの人は肝心なことは何一つ話さないのだった。さっさと諦めた黄雅は、紫響からリェールと呼ばれた男へ向き直る。
サングラスに、黄雅自身の顔が写り込んでいた。

「俺は黄雅・閃といいます。紫響さんとは、まあ幼馴染というやつで、子供の頃から一緒に悪さしては怒られていた、そんな仲です。今は更生して、治安部の一員として働いていますがね」
「黄雅、腕っ節だけが取り柄だったもんねー」
「あなたはもう黙ってりんご飴かじってて下さい」
「……治安部とは?」

リェールが首を傾げた。威圧感とはちぐはぐなその仕草に、第一印象ほど怖い人ではなさそうだと、黄雅は胸をなでおろす。

「ああ、帝国で言うところの軍みたいなものですよ。さっきみたいに見張りしたり、泥棒捕まえたり、川の氾濫を食い止めたり。便利屋です。あなたも軍の方ですか、リェールさん?」
「私は……」

答えが戻ってくるのに、一瞬の間があった。

「……そうだな、一応軍属ではある。リェールと呼んでくれて構わない。あとは……」
「自己紹介の時くらい、顔見せてくれません?」
「……。……紫響」

黄雅はいたって当然のことを要求したつもりだったが、リェールにとっては難問だったらしい。だが、許可を求めるような声音で呼びかけられた紫響の方はといえば、りんご飴から顔も上げずに、あっさりと言葉を返してきた。

「いいよ。どうせ隠しておけないよ」
「隠す? なんのことです?」

黄雅の問いかけに、答えは返ってこなかった。頷いたリェールが、ゆっくりとサングラスに手をかける。
思わず息を呑むほどの、麗人といって差し支えない端正な顔立ちの中、整った眉の下に輝く切れ長の双眸。その瞳は、右が黒曜石のような艶のある黒。左が、黄雅にとってはよく見慣れたはずの、黄昏時のスミレ色だった。

それを目にした瞬間、ぱっと身を翻した黄雅は、紫響の顔から同じサングラスを奪い取る。ろくに抵抗もしなかった彼女の長い髪が舞い上がり、露わになった白金色の睫毛に縁取られた瞳は、右がスミレ色で左が黒。ちょうどリェールとは逆の配色をした両目が、挑むように黄雅を見上げた。

「……どういうことです」

詰問する口調のこちらに、スミレ色と黒が楽しげな弧を描く。

「似合うでしょ?」
「そういうことを言っているのではなく」
「神秘的かつセクシーでしょ?」
「……、はいはい、そうですね」

黒い方の目を閉じてウィンクを飛ばしてくる彼女に対して、黄雅程度の気迫が通用するはずもなかった。繰り返すが、まともな返答を期待する方が間違っているのだ。

紫響が腕組みをして、満足そうに頷いた。

「うんうん、黄雅もこの十年で審美眼が養われたと見えるね。それじゃ、せっかくだし、あんたも一緒に神舞観に行かない? もう昔みたいにつまんないとは言わないでしょ?」
「はあ、それは、構いませんが」

どっと押し寄せた疲労感を意識の外に追いやりつつ、黄雅は頷く。紫響がこれを言いだすのは概ね予想がついていたことだ。

神舞とは、闇の女神に捧げるための舞の奉納を指し、祭りのメインイベントとも言える。藩ごとに一人ずつしか選ばれない舞の名手の競演であり、鈴取りが少年たちの晴れ舞台なら、神舞の舞台に上がるのは虹族の少女たちの憧れだった。

「ふふ、リェール君にもだけど、白羚には絶対に見せたかったんだよね、神舞」

楽しそうに微笑む紫響。

「あの子のことはまだ聞いていませんでしたけど、あなたとの関係は……、って、あれ?」

話題の白羚へ視線を向けたつもりの黄雅だったが、彼女の姿を捉えることはできなかった。雑踏の中、佇んでいるのは相変わらず無表情なリェールだけである。
その彼が、やや気まずそうに口を開く。

「すまない。少し目を離した隙に、はぐれてしまったようだ」

大人しすぎるのも問題だなぁ、と黄雅は頭を抱えたくなったのだった。