第3話

 

翠羽がその場に居合わせたのは、本当にただの偶然だった。
鈴取りの仲間達と別れ、人混みを避けながら街中を歩いていると、視界の端に飛び込んできた光景。図体の大きな青年と痩せた青年のコンビが、一人の少女を囲んでにやにやと笑っている。コンビは両方とも、先ほど負かした隣藩の鈴取り選手達だった。
翠羽は迷うことなくつかつかと歩み寄ると、少女に伸ばされた青年の手を掴み上げる。

「……何やってるの、藍寛?」
「……なんだよ、翠羽か」

あっさりと翠羽の手を払いのけた藍寛は、細い目をさらに細めて、こちらを見下ろした。

「見てわかんねぇの、エスコートだよ」
「それにしては随分、怯えさせてるみたいだけど?」

青年達と少女の間に割り込む翠羽。背後の少女に目をやると、彼女は真っ青な顔をして震えていた。
その長い白金色の三つ編みに、翠羽は覚えがあった。

「……あれ、君……?」
「翠羽、横取りは鈴取りの勝ちだけじゃ足りねぇのかよ」

痩せた青年、丹槙の言葉に、翠羽はムッとして正面に向き直る。

「私は正々堂々戦ってる」
「嘘つけ。鈴持って逃げ回ってるだけじゃねぇか。俺たちの相手は全部碧珠に押し付けてさぁ」
「お前がそう言うなら、今ここで証明してみろよ。正々堂々、戦えるんだろ?」

わかりやすい挑発の言葉と共に、腰に帯びた木刀を抜く二人。丹槙だけならまだしも、大柄な藍寛がいるとなると、翠羽では敵う見込みはないと言って良いだろう。
それでも、後ろに少女をかばう今、引くわけにはいかなかった。

ゆっくりと翠羽も木刀を構える。丹槙と藍寛は顔を見合わせてにやりと笑うと、こちらを挟み込むような位置に陣取った。二対一で戦うことにためらいはないようだ。

翠羽が覚悟を決めた、その時。

「お前ら、何のつもりだ」

静かな問いかけに、文字どおり二人は飛び上がった。

「松藩のやつらが、こんなところで油売ってるとはな」
「へ、碧珠!」

裏返った声を上げる藍寛ほど背丈はないが、がっしりとした体躯の青年が彼の背後に立っていた。肩に担いだ大きな湾曲刀が、陽の光を反射してぎらりと光る。
深い青の瞳が楽しそうに歪んだ。

「どうした、鈴取りの二回戦でもやるか? もう一度ボコボコにしてやるよ」
「誰がやるかよ!」
「畜生、翠羽! 覚えてろよ!」

捨て台詞を残し、彼らは踵を返して走り去って行った。その後ろ姿を見送り、翠羽はほっと胸をなでおろす。

「ありがとう、碧珠。助かった」
「いいさ。しかし、お前も相変わらず無謀だなぁ」
「無謀だって、やるしかない時があるでしょ」
「それもそうだ」

顔を合わせて笑い合う。彼とは幼い頃からの友人で、実の兄より頼りになる存在だと翠羽は思っていた。

落ち着いたところで、背後の少女を振り返る。蒼白だった顔色は幾分赤みを取り戻していたが、それでも透き通るようにその肌は白い。淡い灰色をした瞳も相まって、どこか非現実的な雰囲気を持つ少女だった。

「君、大丈夫?」
「……、その……」
「私のこと、覚えてないかな? さっき会ったんだけど……。兄さんたちとははぐれちゃったの?」
「……あ」

兄さんたち、の言葉で、少女は目を見開いた。思い出してくれたようだ。

「私は翠羽。こっちは友達の碧珠。君の名前は?」
「……あたし」

と、少女が口を開きかけたところで、背後から甲高い声がそれを遮った。

「きゃー! 見て見て、翠羽がナンパしてるわ!」
「……耳元で叫ぶのはやめてくれないかな、橙珂……」

振り返ると、碧珠と同じ顔をした、しかし彼とは違って赤い瞳のほっそりとした青年が立っている。その肩からは、好奇心に葡萄色の目を輝かせた少女の顔がのぞいていた。

青年はよろよろと碧珠のそばまで寄ると、背負っていた少女の体を彼に預ける。

「碧珠、交代。僕にはこの役は難しい」
「難しいんじゃなくて重いんだろ。橙珂一人くらい持てるような体力つけろよ」
「重くないわよ、失礼ね!」

騒がしい彼女を軽々と背負い直して、碧珠はぽかんとしている少女に向き直った。

「うるさくて悪いな。そっちのへばってんのが朱玉、俺の双子の兄貴。こっちが」
「あたし、橙珂よ。よろしくね」

満面の笑みを少女に向ける橙珂。圧倒されたように目を丸くしていた彼女は、やがて翠羽の視線に促されるように、迷いながらも口を開いた。

「名前、わからないの……」
「わからない?」
「みんなは、なんとかの、何番って呼ぶ。紫響とリェールは、あたしのこと白羚って呼ぶ。あたしの名前、どっちだろう……」

途方にくれたような言葉に、その場の全員が首を傾げた。

「なんとかの何番? 君は……」

訝しげに呟くのは朱玉。彼は、翠羽の知らないこともよく知っている。だが、今はその答えが正解ではないような気がした。
不安そうに俯いてしまった少女に、翠羽は微笑みかける。

「じゃあ、私も白羚って呼んでいい? すごく良い名前だと思うよ」

一瞬、瞳を瞬いた少女だったが、やがてこくりと頷いてくれた。

「ありがとう、白羚」
「翠羽にナンパ師の素質があったとはねぇ……」

一転して、からかうような笑みで小突いてくる朱玉。それを払いのけながら、翠羽は大真面目に弁明する。

「な、ナンパ師って何。私は白羚が困ってると思って……」
「まあまあ、いいじゃない。可愛い子を助けたいと思うのは男として当然だと思うよ、僕は」
「確かに可愛いけど……、困ってたら誰だって助けるよ」

白羚がきょとんとした顔でこちらを見つめてくる。何やら恥ずかしくなった翠羽がふてくされていると、碧珠が話を元に戻してくれた。

「それで? 黄雅さんたちと一緒にいたのに、はぐれちまったってことか?」
「そうだ。白羚、そうなんでしょ?」
「……うん」
「それなら、しばらく私たちと一緒においでよ。夕方には兄さんと合流する約束なんだ」

翠羽の提案に、しばらく迷う素振りは見せたものの、やがて白羚は小さく頷いた。
差し出した右手に乗せられた彼女の掌は小さく、ひんやりと冷たい。その温度は彼女の心細さを表しているようで、翠羽はそっと包み込むようにその手を握り返した。