第4話

 

帝国の西に彼ら虹族の住まう自治区があることを、リェールは知識としては知っていたが、不可侵とされているその地域を実際に訪れるのはもちろん初めてだった。
街の中には緑が多く、暖かな季節柄もあってか、色とりどりの花で溢れている。祭りの真っ最中であることもあり、行き交う人々は皆笑顔で、中には帝国人であるリェールを珍しがって話しかけてくる相手もいるほどだった。

「……良い街だな」
「こんなに浮かれてるのはお祭りの間だけですよ。さて、迷子届けも出しましたし、紫響さんのところへ戻りましょうか」

治安部詰所のテントを出て、リェールと黄雅は神舞の行われるステージ前へ向かう。歩くのもやっとの人混みで、観覧席はすでに埋まっていたが、紫響の姿を見かけた住民たちが快く席を融通してくれたのだった。おかげで、最前列で神舞を見ることができる。

ところが、戻ったところその席に紫響の姿はなかった。

「げっ、あの人、今度は何やってるんです」

代わりに、あろうことか檜で作られた舞台に上がり、彼女が運営らしき男と何やら押し問答をしている場面が見えた。

「お願い、最後にちょっとだけでいいから」
「そうは言ってもなぁ……」

困り果てた顔の男性を拝んでみせる紫響。観衆からは笑い声が上がっているが、どちらかというと紫響のわがままは好意的に捉えられているようだ。

「……紫響、どうした」
「あ、リェール君、黄雅。おかえりー」
「おかえりー、じゃないでしょう。あなたは、何か問題を起こさないと気が済まないんですか」
「問題じゃないよ、サービスだよ。ねー、みんな!」

最後の言葉は居並ぶ観客たちへ向けて。背後からは、そうだ、やれやれ、という声援や、拍手の音が上がる。
その応援が、さらに運営側の眉間に皺を刻んだ。
しかし、彼が何か言いかけた言葉は、舞台上に現れた小柄な老婆によって遮られた。

「良い良い、好きにさせておあげ」
「婆様、ですが」
「わぁ、婆様、久しぶり! 変わらないね」
「婆の十年なんてあっという間だでなぁ。それより紫響、舞うと言うなら、その格好ではちとまずかろう。裏で着替えておいで」
「……舞う?」

リェールが首を傾げると、黄雅が目元を覆って、そういうことか、と呟いた。

「ダンスはできないと言っていなかったか」
「帝国のダンスとは違うもん。見てなさいよー、メロメロにさせてあげるんだからね!」

そう言い残すと、紫響は老婆の後に続いて舞台上を横切って消えた。
気を取り直したかのように、運営の男が咳払いをする。

「……ということで、急ではありますが、最後に紫響・燕貴による舞をご覧いただくこととなりました。間も無く奉納神舞が始まります。ご着席になってお待ちください」

一つ余ってしまった席を詰め、薄いクッションの上に胡坐をかく黄雅の隣に、リェールも真似して腰を下ろす。虹族たちは椅子を使わないというのは本当らしい。

神舞について、紫響はリェールになんの事前知識も与えてくれていなかった。虹族の言葉の「舞」は帝国の「ダンス」だと解釈していたため、てっきり舞踏会のようなものかと思っていたのだが、この様子を見ると違うようだ。

「黄雅、紫響は何をするつもりなんだ」
「まあ、見てればわかりますよ。せいぜい、メロメロにされてあげてください」
「では、神舞とは?」
「……、俺も、あなたには聞きたいことがいっぱいあるんですけどねぇ……。まあいいか、紫響さんからこのお祭りについて何て聞きました?」

黄雅の問いかけに、リェールは首を振ってみせる。

「何も。故郷で祭りがあるから見に行きたいとだけ言われた」
「……それでよくもまあ、はるばる帝国から」
「紫響の願いだ。叶えてやりたかった。それが、私にできる唯一の罪滅ぼしだ」
「罪滅ぼし、ですか」

目を瞬く黄雅。そこに、肌もあらわな売り子の女性が近づいて来て、彼に酒を勧める。結構です、と浮かべた愛想笑いは、リェールの方を向き直った時には真面目な表情に戻っていた。

「……紫響もだが、虹族の女性は自由だな」
「あ、ちょっ、流しますか今のところ。大事な話でしたよね」
「そうか?」

リェールとしては、なんでもない世間話をしていたと思ったのだが。

「……リェールさん、あなた天然だって言われたことありません?」
「……、養殖だろうか」
「俺に聞かないでください……」

はあ、と軽くため息をついて、黄雅は続ける。

「聞かれたくない話だったらすみません。けど、俺にとってもあの人は大切な人なんです。だから、また仲良くなったら色々聞かせてください。あの人が帝国へ出ていってからのことや、あなたと一緒にいる理由を」
「……わかった」

紫響から、故郷に大切な友人がいるという話は聞いていた。その黄雅からすれば、十年ぶりの彼女と一緒に現れた自分を得体の知れない人物だと思うのも当然だろう。
リェールにはリェールの、紫響と過ごした時間がある。それを、彼とはどこかで共有したいと感じた。