第3話

 

ぼやけた視界に、釣り下がった四角いライトが映り込む。もう少し寝ていよう、と柔らかい布団に頰を寄せ、かえでは目を閉じた。かちこちと秒針が時を刻む音だけが、穏やかに耳を打つ。

「目が覚めたか」

不意に、額の上にひんやりとした掌が乗せられた。ゆっくりと瞼を開けると、白衣を着た知らない男性が枕元に座っているのが見える。

「37度5分。風邪だ。悪化するとタチが悪い。今のうちにゆっくり休んでおくといい」

言葉から察するに医者なのだろうか。涼しげな顔立ちは40歳前くらいに見えるが、背で束ねた銀髪のせいでいまいち年齢不詳である。
かえでが話しかけようか迷っているうちに、足音がこちらへ近づいて来た。

「ドクター、様子は?」
「風璃か。今なら話してもいいぞ」
「俺はいいよ。話ならひさ姉とかから」
「火事のことといい、お前には説明する責任があると思うが?」

火事。
その言葉で、肌を焦がす熱気までが蘇り、かえでは思わず布団をはねのけて起き上がった。どきどきと早鐘を打つ心臓。そうだ、自分は火事に巻き込まれたはずなのに、どうしてこんなところで寝ていたのだろう。

一拍遅れて、枕元の医師と目が合う。彼は、紫色の双眸から眼鏡を外すと、診察道具をまとめて立ち上がった。

「寝ていなさい。しばらくは安静に」

そして、ふすまの外に立ち尽くすもう一人の脇をすり抜け、部屋を後にする。
もう一人はまだ若い青年で、その姿を認めた途端、かえでの頭は真っ白になった。14年間の人生で、彼ほど美しい人物を見たことがなかった。
輝くような銀の髪はやや長め。外国のモデルのような整った顔の中には、同じ銀色の長いまつげで縁取られた深い紫色の瞳。その両目で見つめられていると思うだけで、かえでの体温は急上昇しそうである。

ちょっと待て。今、自分はどんな格好をしていただろうか。恐る恐る見下ろしてみた胸は寝乱れた浴衣姿、手をやった頭はボサボサで、かえでは思わず悲鳴をあげた。

「わ、悪い。あんな目にあって、思い出させるようなこと」
「違うの! ちょっと待って今は駄目、こんな格好……!」
「格好?」

訝しげな顔を見せる美人をよそに、大慌てでかえでは衣服と髪を整える。なんとか身繕いを終えた涙目のこちらに対し、青年は破壊力抜群のにこやかな笑顔を浮かべた。

「よかった、元気そうだな」

全然良くない。顔から火が出そうである。

「……あの、ここは?」
「俺の家。えーと、火事のことは覚えてるか?」

無言のまま、こくりと頷いてみせる。青年は、先ほどまで医師が座っていた枕元に胡座をかいた。あまりに近い位置に彼が陣取ったので、またもかえでの脳がパニックを起こす。

「あのー、俺、火事のあったビルの前をたまたま通りかかったんだけどな、そしたらお前がビルの中からふらふら出てきて倒れたから、家は医者もいるしと思ってとりあえず連れ帰って来たんだけど……」
「そ、そうなんだ。ありがとうございました」

真摯な顔もまた格好いい、なんて思っている場合ではないのだが、どうにも話に集中できない。要は、彼が自分の命の恩人であるということらしかった。なんだか記憶と異なっているような気もするが、意識も朦朧としていたことだし、思い違いだろうと納得するかえで。

素直に礼を述べると、青年はなぜか気まずそうに視線を逸らした。

「いや、礼なんていいって。それより、お前、あんなところで何してたんだ? まだ中学生だろ、家は?」
「……あたし、家出中なの」
「はぁ?」
「親と進路のことで喧嘩して、それで……」

話しているうちに、なんだか情けなくなってきた。こんな状況になってしまった以上、家出は中止せざるを得ないだろう。それでも、怒った父親の顔を思い浮かべると、戻るのは嫌だと感じるのだった。

「帰りたくない……」

ぽつりと漏らした声は、自分でも驚くほど弱々しかった。青年は困ったようにしばらく宙を見つめていたが、やがてため息をひとつ吐いてこう言った。

「それじゃ、しばらく家にいるか」
「……いいの?」
「まぁ、あまり良くはないんだけど、大丈夫だろ。ひさ姉やゆず姉もいるし、居候は二人目だし。見捨てておけないっていうか」

どことなく言い訳するような口調の彼。願ってもない話に、かえでには本当に、青年が光り輝いて見えるようだった。

「俺、早乙女風璃っていうんだ。お前は?」
「かえで。黒姫かえで。あの、よろしくお願いします」
「ん。よろしくな、かえで」

再び、まばゆいばかりの笑みを浮かべる風璃。そこまでが限界だった。
一気に顔が火照ったかと思うと目の前が暗転し、慌てる彼の様子が見えたのを最後に、今度こそかえでは気を失った。