第9話

 

柚子妃の言うお願いと仲直りの方法は、話を聞いてみると同じ事だった。一石二鳥でしょ、と彼女は笑う。
友人の友人が営むカフェを手伝って欲しい、というのがそれである。それがどう仲直りになるのかと思ったら、何食わぬ顔の柚子妃はその日の朝、かえでと一緒に風璃も送り出したのだった。

「2人も手伝ってくれるなんて嬉しいわ。唯真君にお礼しておかなきゃ」

店主である女性が顔を綻ばせる反面、風璃は複雑な表情をしていた。

「唯真さんの用事、これだったんだな……」
「用事って?」
「なんでもない」

そっぽを向く彼もかえでも、すでにウエイターの制服を身に纏っている。黒いシャツにエプロンをつけた風璃は、食品を扱うためか長めの銀髪を後ろで縛っていた。

ひととおり仕事の説明が終わると、開店時間はすぐだった。休みの日だからというのもあるだろうが客足は多い。中でも目立ったのは、外から風璃の姿を見かけて入ってきたという客である。

「えー、高校生なの? 学校どこ?」
「一緒に写真いいですか?」
「ねえねえ、君、うちでモデルやらない?」

風璃はそれら全てを鉄壁の笑顔で断っていたが、ひっきりなしに話しかけられる彼は仕事の手も止まりがちだった。

「悪い、かえで。お前ばっか働かせちまって」

ようやく一息ついたタイミングで謝ってくる風璃に、かえでは首を振る。

「大丈夫。それより大変そうだね。風璃さんが面倒って言ってた意味、わかったかも」

こんな調子で声をかけられ続けていては、確かにひとつひとつ対応するのも面倒だと感じてしまうのかもしれない。先日の喧嘩の原因を思い出してかえでが苦笑すると、風璃は困ったような顔で息を吐いた。

「ああ、あれな……。いや、普通に考えればお前の言う通りだし、俺も悪かったよ」
「あたしこそごめんね。風璃さんの事情も考えずに、酷いこと言った」
「そうだな、調子に乗ってるだのなんだのは、ちょっときつかった」
「あ、やっぱり自分でも美人だとは思ってるんだ?」
「こんだけ言われてりゃ、多少は自覚もするよ」

カウンターにもたれて、顔を見合わせて笑う。彼とのわだかまりが解けたようで嬉しかった。

「あたし、親が厳しくて、アルバイトなんて絶対させてもらえないって思ってたから、今日風璃さんと一緒にお仕事できてすごく楽しい」

上機嫌のままそう告げると、風璃はきょとんとした顔をして、それから明後日の方へ視線を逸らせた。

「あー、そうだな。ゆず姉の手伝いの中では確かに、楽しい方かもな」

何かごまかされたような気がしたが、それを尋ねる前に、風璃から問いかけられる。

「お前、家出の原因もそれだよな?」
「パパと喧嘩したこと?」
「喧嘩はよくするのか?」
「うん。パパうるさいんだもん。テストの点が悪いとかならわかるけど、あたしの服装とか髪型まで口出してくるんだよ。そんな浮ついた格好するなって」

父の偉そうな声を思い出しただけでイライラしてくる。家出にまで至ったのは初めてだが、特にかえでが中学に上がってからは、頭ごなしに叱られる機会は多くなっていた。

「……帰れって言う?」

どうしてこんなことを聞かれたのか。急に不安になって風璃の顔を見上げると、彼は頬を緩めた。

「いや。ただ、普段から家に親がいるってどんな感じかと思って聞いただけ。悪かったな」
「あ……」

柚子妃から聞いた彼の生い立ちが脳をかすめる。しかし、弁解しようとした言葉は、風璃が不意にかえでの頭へ手を置いたせいで吹き飛んでしまった。
笑顔を浮かべていた彼も、次の瞬間には自分が何をしたか気づいたらしく、バツが悪そうに右手を引っ込める。

「……悪い」
「……ううん」

今更ながらお互いに少し距離を取る。ドアベルが音を立て、客の来店を告げた。

「風璃、柚子妃から聞いたぞ。バイトしてるんだってな」

満面の笑顔で飛び込んできたのは、大きな水色の瞳が印象的な女の子だった。

「サキちゃん」
「なんだ、結構似合ってるじゃないか。とりあえずチョコケーキひとつ」
「えっと、知り合い?」

慌てて伝票を書き込みながら、親しげに話す少女と風璃を見返す。物理的にも距離が近いように感じるのは気のせいか。

「ああ、ゆず姉繋がりの友達」
「よろしく。お前のことも聞いてるぞ。悪かったな」
「悪かった?」
「いや、こっちの話」

初対面なのにいきなり謝られて首を傾げるかえでに、なぜか風璃がフォローを入れる。以前からの知り合いだというから仕方がないが、妙に疎外感を感じてしまう。

店主が用意してくれたチョコケーキを出すと、サキは幸せそうにそれを頬張りながら、物騒なことを言った。

「今日はかえでに忠告があって来たんだ」
「忠告? あたしに?」

繰り返すが、サキとは初対面である。同じテーブルに座れと勧められ、対面の椅子に腰掛けたかえでの耳に、サキは小さな唇を寄せる。

「そんな身構えなくていいぞ。僕と風璃はただの友達だから」
「へ? あ、あの」

笑い声混じりに言われ、一気に頬が熱くなる。思わず風璃の姿を目で探すと、彼は店主と何か話していて、こちらに注意を向けている風ではなかった。

「あの、忠告って一体……」
「まあ、僕は人には見えないものも見えるんだと思ってくれ。そういう忠告だ。信じなくても構わないけど、黙ってるのも気性に合わなくてな」

いわゆる霊感少女というやつだろうか。口調もそうだが、妙に浮世離れしているのはそのためか。

サキは、チョコケーキの最後のひとくちを飲み込むと、口の端についたかけらを指で拭った。

「身の回りには気を付けろよ、かえで」

淡々とした忠告は、かえでが思っていたよりも曖昧な言葉だった。

「お前の周りから、夢魔の匂いがする。弱い夢魔だが、普通の人間が相手できるものじゃないからな」
「あの、サキちゃん? 何を言っているのか……」

当惑するこちらに、サキはがらりと口調を変えて続けた。

「ま、風璃がなんとかするから大丈夫だろ。な、風璃」
「ん? なんだ、俺のこと話してたのか?」
「そうだぞ。かえでのこと、しっかり守ってやれよ」
「あ、ああ」

椅子から飛び降りたサキが、手を伸ばして風璃の肩を叩く。彼はこちらを気にしながら、それでもしっかりと頷いてくれた。

サキが帰った後は再び客足が増え、かえでも風璃もそれぞれの仕事が忙しく、ばたばたとその日のアルバイトは幕を閉じた。