第1話

 

南西周縁都市ネリドは常夏の地域に位置するものの、標高が高いおかげで意外と涼しく、過ごしやすい。日差しは焼け付くような強さだが、背後にそびえるギネット山からはいつも爽やかな風が降りてきて、市章を染めた青い旗をなびかせている。
歴史のある煉瓦造りの町並みや特産のシャンパンは観光客にも人気が高く、そのため、一年を通してこの街には多くの人が訪れる。

極南地方からキャラバンのやってくるこの時期は、町が最も活気付く季節だった。
砂漠に暮らす一族である彼らは、年に一度交易のために、様々な商品をネリドに持ち込んでくる。品揃えは豊富で、ここでしか手に入らないものも数多い。

「見て見てジェイト、これ可愛い!」

雑貨を扱う臙脂色の天幕の下で、少女が歓声をあげる。
ジェダイト・ローゼンスティールはちょうど、購入したティーセットの包みを店主から受け取るところだった。

硬い癖のある山吹色の髪。少々険のあるつり気味の瞳は、母親譲りの明るい若葉色。背はそう高い方でもないが、長いグローブで覆った腕には、それなりの筋肉が備わっている。
そして、紙袋の反対の手には頑丈な松葉杖をついていた。先日骨折した右足が、まだ治りきっていないためである。

「おや、お嬢さんお目が高いね」

恰幅の良い女性店主が、少女ににこにこと笑顔を向ける。

「桃水晶のブレスレットはそいつで最後だよ。いいものだから、この彼氏に買ってもらいな」
「か、彼氏!? いえ、あの……!」

大慌てで商品を棚に戻す少女、ユナ・リスティアの狼狽ぶりに、ジェイトはこちらまで頰が熱くなってくるのを感じた。

ユナは昔からの幼馴染で、現在はジェイトの母親が経営する喫茶店で働くウェイトレスである。仕事の休憩時間に出てきているので、今もその制服である黒いエプロンドレスのまま。だが、その格好は彼女のくるくると動く空色の瞳によく似合っていた。

軽く息をついたジェイトは、ユナが棚に戻した淡い桃色のブレスレットを取り上げる。

「あ、ジェイト……」
「気に入ったんだろ? ……いくら?」
「まいどあり。25リグルだよ」

ユナが何か言うより早く、渡してもらったブレスレットを彼女の手のひらへ落とすと、ジェイトは一足先に天幕の入口をくぐった。しかし、照りつける直射日光は、火照った顔を冷やしてはくれなかった。

自分に対するユナの態度が人とは違うことくらい、ジェイトは気がついている。ジェイトどころか、自分たちの周囲の人間は概ね知っていると言っていい。彼女は感情を隠すのがこれでもかというくらい下手だった。
それでも、ユナが直接何か言ってこない限り、気づかないふりをしようとジェイトは決めている。まさか、こちらから自分のことが好きなのかと問いかけるわけにもいかないだろうし。

一つ結びにしたこげ茶色の髪を揺らして、ユナが追いついてくる。その腕には早速、桃色のブレスレットが光っていた。

「えへへ、ありがとう、ジェイト。でも大丈夫? 明日の用意、お金足りる?」
「ああ、だいたいもう買い揃えてあるから」

心配そうな瞳で見上げてくる彼女。さりげなくティーセットの袋に手を伸ばしてくるのを避けつつ、ジェイトは松葉杖をついて歩みを進める。街は買い物客でごった返しており、人を避けるのも一苦労だった。

南西地方は、世界で唯一、二人の領主によって統治されている。双子の領主は兄が行政を、弟が治安を担当しており、その弟がこの度ようやく婚約をすることになった。ジェイトは彼らとは以前より親しい間柄だから、そのお祝いに友人のウィラとともに、明日、ノクトレスへ発つ約束をしていた。ティーセットはお祝いの品である。
ノクトレスまでは一日歩けば着く距離とはいえ、途中の山道には魔物も出る。多少は剣の腕に覚えのあるジェイトだが、応急薬や魔物避けの護符はあるに越したことはない。それらもすでに、キャラバンの商店で準備済みだった。

「……あとは、この足だな」

ジェイトは、動かせないよう固定された右足を見下ろした。ノクトレス行きの約束を前にジェイトが骨折したと知って、あらかじめウィラはネリドに着いたらそれを治してくれると伝えてきたのだが、本人がいつになっても姿を見せないので、買い物ついでにこちらから出向いてみたわけである。それでも、彼が滞在しているという宿の部屋はもぬけの殻だった。

ユナが大げさにため息をつく。

「ウィラさん、どこ行っちゃったんだろうね?」
「この人混みじゃ、見つけられねぇよな。一旦宿に戻ってみるか……」

宿へ向かうには、目の前の混雑をまっすぐ横切る必要がある。こちらを押し潰さんばかりの熱気にげんなりするジェイトだったが、

「……っ、危ねっ」

誰かに突き飛ばされたらしい人物がぐらりと倒れかけるのを、咄嗟に伸ばした左手で支えるジェイト。危ういところで、相手は固い煉瓦の路面に激突するのを免れた。
ふわりと舞う、長い桃色の髪。ジェイトが抱きとめたのは、同じ年くらいの少女だった。
どこか虚ろな群青色の瞳が、熱に浮かされたような視線で見上げてくる。

「あなた、大丈夫!?」

慌てるユナと、自分を抱えたままのジェイトを、少女の目がゆっくりとなぞる。

「……大丈夫、です」
「ちっとも大丈夫そうじゃないよ! 顔真っ赤だもん、きっと熱中症だよ」

見れば、彼女の格好は南西地方にあるまじき毛織のワンピースだった。恐らくもっと北部の方からの観光客だろうが、この服でこの暑さの中を出歩くとは、無謀にもほどがある。

「どこかで休憩したら? カフェなら冷たい飲み物もあるよ」

と笑いかけるユナに、少女は一度目を閉じると、やがて覚束ない足取りでジェイトの腕から立ち上がった。

「ありがとうございます。大丈夫ですから。……それじゃ」
「あ、ちょっと」

呼び止める声にも振り返ることなく、彼女はふらふらと歩み去っていった。
抱きとめた姿勢のままそれを見送るジェイト。心配そうにユナも呟く。

「大丈夫かなぁ……」
「何が?」
「うわっ!」
「きゃあ!」

不意に背後から声をかけられて、ジェイトもユナも飛び上がった。

「おっと、そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「ウィラ!」
「ウィラさん、探したんですよ!」

立っていたのは長身の男。砂漠の一族特有の褐色の肌に、じゃらじゃらとたくさんの宝飾品が輝く。ウィラ・ウェンデルは猫のように吊り上がった飴色の瞳を丸くすると、心底不思議そうに二人を見下ろした。

「俺を? 探さなくても、夕飯時には喫茶店行くのに」
「ジェイトの足、治してくれるって約束だったんでしょう?」
「うん。あ、早く治した方がいい?」
「当たり前じゃないですか!」
「……だって。愛されてるねぇ、ジェイト」
「あっ、愛とかじゃなくて! ジェイトは大事な友達だから!」

憤慨と狼狽が入り混じって真っ赤になったユナを見て、ウィラは声を上げて笑った。人を困らせて楽しむという悪い趣味を持つ友人に、ジェイトは大きくため息をついて話を戻す。

「……ウィラ、おれからも頼む。不便でさ」
「りょーかい。杖置いてきちゃったから宿屋ででもいいかな。あと、それは大丈夫?」

それ、とウィラはジェイトの足元を指差した。見下ろせば、先ほど買ったばかりだったティーセットの入った紙袋。
少女を抱きとめた際に、咄嗟に伸ばした左手から落ちたのだ。中身は、無残なことになっているだろう。
ジェイトは、再び大きなため息をつくのだった。