第11話

 

周縁都市ネリドと領主都ノクトレスは、地図上で考えればそれほどの距離は無い。しかし、間に横たわるギネット山のために、定期便の馬車は回り道を余儀なくされる。魔物が多いことも一因だろう。
しかし、急ぎの者や馬車を使う余裕のない者のために、山道も一応整備がされている。戦時中に見晴らし台の置かれた峠付近は特に、魔物の寄り付かない快適な休憩場所となっていた。

結局目覚めなかったティセリーの体を切り株のそばに下ろし、大きく伸びをするジェイト。とっくに到着していたウィラは、早くも荷物を開けて昼食の包みを取り出していた。予定よりも遅くなってしまっている。

「ちょっと急がないとな。だいぶ時間食ってる」
「もう俺お腹すいちゃってさぁ。お、ベーグルだ。一番でかいやつ貰っていい?」
「赤い包み紙のやつ、ウィラのな」

本日の昼食は、カリカリに焼いたベーコンと新鮮なレタスをたっぷり挟んだベーグルサンド。簡単だが、早朝出発を考えればこんなものだろう。
敷き布の上に昼食と、水筒から注いだ三人分の紅茶を並び終えた頃、やっと意識を取り戻したティセリーが緩慢に身を起こした。

「………わたし……?」

とろんとした目でこちらを見るや否や、彼女は自分の状況を理解したらしい。瞬く間に耳まで赤くなった。

「ご、ごめんなさい、わたし、また……」
「……いいから、昼にしようぜ」
「ごめんなさい……」

ネリドを出発してからティセリーが倒れたのは、これで三回目だった。一度目は飛び出してきた魔物に驚き、次は彼女をかばったジェイトの出血に悲鳴を上げ、その度に放電して気を失っている。聖母の申し子と言ったか、幸福そうな名前と裏腹に、厄介な体質だった。

ベーグルサンドを一つ渡してやると、ティセリーは小さな声で礼を述べ、恐る恐るといった風に口をつけた。

「……美味しい」
「なー。さすがジェイト、シュオにスカウトされるだけある」
「えっ、ジェイトさ……、ジェダイトさんが作ったんですか?」
「そんなに驚かなくてもいいだろ」
「だって、男の人が料理なんて……」

信じられない、といった顔のティセリー。ディロウ文化でもティンラン文化でも、料理人は男の方が多いのだが、彼女は一体どこの出身なのだろう。

一足先に完食したウィラが、さて、と敷き布から腰を上げる。

「この感じだとノクトレスには夜着く感じになりそうだから、あらかじめ連絡しておくよ」

そう言うと、両手の親指と人差し指を使って、四角形を作る。何をしているのかと見守る二人の前で、その中に声を吹き込む彼。

「シュオへ、到着が遅くなりそうだから、明日の朝行くんで、よろしく」
「……それも彩式か?」

最後にふっ、と息を吹きかけると、指で囲んだ四角形が緑色に光って、消えた。ジェイトの問いかけに、ウィラは笑顔で応じる。

「そう。シュオが開発した新しい彩式。『風信』って言うんだってさ。まだ実験段階らしいけどね」
「ふぅん、彩式にも色々あるんだな」
「まあね。この休憩所に魔物が寄り付かないのだって戦時中にかけた彩式の名残だし、ノクトレスの給水塔も彩式で動いてる。俺みたいに戦いに使うのはほんの一部だね」
「へぇ……」

いつの間にか、ティセリーも手を止めて話に聞き入っているようだった。そんな彼女を気にしながら、ジェイトはさらに問いかける。

「ティセリーの、聖母の申し子ってやつも彩式がらみなんだろ?」

それに対して、ウィラは自信に満ちた笑顔を浮かべて、迷わずこう答えた。

「さっぱり!」
「おい専門家!」
「いやー、どうだったかなぁ、講義でやったかなぁ。俺ほとんど寝てたからなぁ」
「……ほとんど寝てたお前でも知ってるってことは、それなりに有名なんじゃないのか? 先例があるとか」
「んー、先例ねぇ……」

ジェイトが畳み掛けると、ウィラはそれとなく視線を逸らした。
気のせいか、彼は昨日からこの話題を避けている。日に焼けた頰をじっと見つめていると、根負けしたようにウィラは口を開いた。

「……あー、先例っつうかね、知り合いに、いて。聖母の申し子。連合軍の上司だったんだけど」

なるほど、そういうことか。知り合いにいたのなら、色々な事情もあったのだろう。

「って、お前軍属だったのかよ!」
「反応するとこ違うし! 別にいいじゃん、俺が軍にいたって」
「いや、そうなんだけどさ」

確かに、現在24歳の彼は終戦の時点で17。イェルア軍は15歳からの入隊を認めていたから、あり得ないことではない。
ないのだが。
当時のジェイトはまだ子供で、加えてネリドには直接戦火が及ぶこともなかったため、正直戦争といってもどこか他人事だったように思う。ところが、目の前のちゃらけた青年は実際にそこへ参加していたのだという。
なんだか、足元にぽっかりと穴が空いたようだった。考えてみれば、自分はウィラについてほとんど何も知らない。彼本人から聞いた話は、こんなでも政府の監査であること、彩式の学校を出ていること、砂漠出身であること、くらいである。
これから会いに行く南西領主とも、どういった経緯で知り合ったのか、ジェイトは何も聞いたことがなかった。

「そんなに深刻そうな顔しないでよ。軍属っつったって、俺ただの雑用だったしさ」
「いや、悪い。ちょっと驚いただけ。それで?」

湧き上がった不安を胸から追い出し、ジェイトは話の続きを促す。

「それでも何も、そんだけなんだけど。ツァラが……、ああ、ツァラっていうんだけどね、上司。そのツァラが聖母の申し子だって聞いて、どういう状態を指すのかは彩式学校入ってから知った。だから、別にあの人が暴発するとこなんか見たことなかったなぁ。何色だっけ、ツァラ」
「……治るんですか?」

小声で、ティセリーが話に割り込む。そちらに向けて、ウィラは軽く首を傾げてみせた。

「さあ? でも、治る、治す、じゃなくて、止めるとか抑えるとかじゃないかな。たぶん、普通の人より彩式に向いてるんだ、きっと」

にっ、と猫のように微笑んで、ウィラは大きく伸びをした。それから、空になったカップの水気を切って、ジェイトに放ってよこす。

「さて、そろそろ行こっか。彩式については、俺よりシュオの方が詳しいよ。あいつ、理論派だから」
「シュオさん、ですか……」
「そう。あ、でも気をつけてね、シュオは」

ジェイトは片付けの手を一瞬止め、ウィラの台詞を奪った。

「世界一食えない男」
「……だから」