第12話

 

ウィラの言葉通り、結局ノクトレスについたのは夜になってからだった。ティセリーはあの後もう二回気絶し、その度に彼女を背負って歩いたジェイトも、街の門をくぐったあたりで体力が尽きた。その日はもう宿をとって休むことにし、宣言通り領主の館を訪れるのは翌朝に持ち越されることとなった。

港から続く広場をちょうど眺めることができる、個人の住居としては街一番の規模を誇る屋敷。鏡のように磨かれた豪華な机の向こうで、窓からの景色をじっと眺める青年は、何を考えているのだろう。
甘い蜂蜜色の髪に、異国風の赤い装束。きらりと右腕に光るのは、南西地方の全権を握る領主の証、蓮をかたどった真鍮の輪。

「そうか、それで遅くなったんだね」

こちらが口を開く前に、彼はいきなりそう断言する。振り返った顔は南国には珍しいほどの白さで、さらに珍しいのはその中の瞳の色。赤と青の、左右で違う色の双眸が、理知的な光を宿して三人に微笑みかける。ティセリーが隣でわずかに息を飲んだ。

「南西へようこそ、北国のお嬢さん。僕はシュオユゥ・レイフォン。この辺りを任されてる領主の片割れさ」
「領主さん、初めて会った女の子に初っ端からナンパですかー?」
「やあ、ウィラ。相変わらず態度と身長ばっか大きいねぇ」
「いやいや、態度の方はシュオには敵わないって」

お決まりらしいやりとりを互いに笑顔で交わしたのち、シュオはジェイトの方へ右手を振ってみせる。しゃらしゃらと鳴る腕飾り。

「ジェイトも、久しぶりだねぇ。ちょっと背が伸びた気がするよ」
「そうか?」
「うん、気がするだけかも」

適当だった。呆れるジェイトを見て、彼は楽しそうに笑う。

南西地方を治める双子の領主。行政担当の兄、シュオユゥ・レイフォンと、治安担当の弟、ヴェイジュ・レイフォン。23歳という若さだが、それでも二人をその立場から降ろそうという意見は出てこない。
卓越した頭脳と観察眼を持つ兄は狐に、勇猛さと剣の腕で知られる弟は虎に、それぞれよく例えられる。
狐ではなく、尻尾を隠した魔王じゃないかと、ジェイトは常々思っているのだが。

そんな彼は、ここでやっと初対面であるティセリーの紹介を求めた。

「で、こちらは?」
「ティセリーちゃんっていって、人を探してるんだってさ。極北行きの船、出てたっけ?」
「ふぅん、ティセリー、ね。祈る者、かな?」

なんのことやらわからない質問に思えたが、ティセリーはそこでなぜか身を震わせた。見つめてくる二色の目から逃れようとするように、シュオから顔を逸らし、自らの体を両腕で抱きしめる。

「……ち、違いま……」

否定の言葉。しかし、態度は雄弁だった。
その反応に、シュオは苦笑を浮かべて、おどけた仕草で肩をすくめてみせる。

「ありゃ、外しちゃった? わー、僕恥ずかしー」
「なんだったんだ、今の」

北国の出身、というのは、彼女の身につけた衣服を見れば推察できる。とすると、祈る者というのは、その地方の言葉で彼女の名前に込められた意味、ということだろうか。
ジェイトが眉をひそめていると、照れたような笑顔の魔王が絡んできた。

「なんでも気になっちゃうのさ。よぉく知ってるよねぇ、ジェイト?」

口を挟んだことを、ジェイトは心の底から後悔した。しかし時すでに遅く、彼は次の標的をジェイトに定めたらしい。朗らかだった印象が、笑顔は変わらず同じなのに突然温度を下げて、ガラスの破片に似た冷たさを持つ。
つ、とすぐ目の前まで寄ってきたシュオは、手にした華奢な扇子の先で、そっとジェイトの唇に触れる。

「……甘かった?」
「…………っ!」

瞬時に理解して、というより、思い当たることがフラッシュバックして、とっさにその手を振り払ったジェイトは彼から距離を取ろうとする。が、行き過ぎて背後の重厚な扉に頭をぶつけた。盛大な音。

「あははは、そんなに慌てなくってもいいのにぃ」
「甘いって何が? ジェイト、つまみ食いでもしたの?」
「違うよねぇ、つまみ食われたんだよねぇ」
「……そ、それはもういいだろ。シュオ、極北行きの船の話」
「ふふ、会うたびにヴェイに似てくるねぇ、キミは」

喋りながらシュオは、弾みをつけて机の天板に座った。悠々と足を組む。

「えーと、ティセリーちゃんか。大変残念だけど、今、諸事情あって極北への船は出してないんだ。ごめんね?」
「えっ……」
「定期船を止めるなんて、何かあったの?」

表情を凍りつかせたティセリーから、ウィラへと視線を移すシュオ。大きな机に腰掛けることで、彼らの目線は一致する。

「ちょっと心配事があってね。ウィラ、ヴェイのお祝いに来てくれたところ悪いけど、一つ頼まれてくれないかな?」
「……なんだか嫌な予感」

渋い顔をするウィラに、シュオは笑顔で告げる。

「うん、あのね、いいから何も言わずに極北行って?」
「お前今心配事があるって言ったよな?」
「大丈夫さ、北西までなら船あるし、あとは最悪歩けば着くから」
「俺に何させる気! お前ホント怖いんだよ、せめて目的くれってば!」
「やだなぁ、キミは仮にも僕の師匠じゃないか。そうやっていちいち人に聞かなきゃ何もできないのかい?」

白木の扇子で首元に風を送りつつ、楽しそうに笑うシュオ。魔王は絶好調のようだ。完全にここの師弟関係は逆転している。
やがて、ぱちんと閉じた扇子を顎に添え、彼は真面目な顔をしてみせた。

「心配なことは二つあってね。一つは極北がきな臭いこと。噂では、反政府組織とかいうはっちゃけた集団が潜伏してるらしいよ。まだ小規模な組織みたいだから、知らないかな?」
「監査の俺だって知らないよ。お前の情報網はどうなってるんだ」
「内緒。まあそんだけといえばそんだけなんだけど、なんだか嫌な予感がしてね。見て来てくれるとありがたいな」
「もう一つは?」

問いかけるジェイトに、シュオは彼にしては珍しく、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

「これも内緒だよ? ……チェンカが誘拐された」
「は?」
「誘拐?」

ジェイトとウィラの驚いた声が重なる。

「外出していて、ヴェイが目を離した一瞬の間にいなくなってたそうだ。足の悪い彼女が自分から消えるなんて考えにくいだろ? ヴェイの奴、もう血眼だよ。ここんとこ夜も寝ないで探し回ってる」

花嫁が誘拐されてしまったなど、これでは婚約祝いどころではない。
はあ、と思い息を吐き出して、シュオは机からひらりと飛び降りた。そのまま、先ほどまで眺めていた窓からの景色を、3人に指し示す。

「ちょっとこっち来て。あれ見える?」

窓の外に広がるのは、境界線の無い、ひたすらに広い青。白い帆を張った船と動き回る人々が小さく映る、活気ある港の光景だった。隣の窓を覗くティセリーが感嘆の息を吐く。

「きれいでしょう? でもそれじゃなくて、港の外れ。赤い屋根の建物、見えるかい?」
「ああ、倉庫だろ。何入ってんのかは知らねぇけど」

桟橋の辺りから少し離れた場所には、煉瓦造りの建物が林立している。シュオが指しているのは、その中でもぽつんと孤立した、小さな倉庫だった。

「あそこは街の倉庫じゃなくて、カルダンさんっていう商人さんの個人的な倉庫なんだ。もっとも彼自身、今はグラヴァルドへ買い付けに行ってて留守。けど、噂によると最近どうも人が出入りしているらしい」
「それはつまり、怪しいんだろ?」
「怪しいんだけど、あくまで個人所有の建物だからね。証拠もなしに中見せろなんて言えないわけ。だから、ヴェイには内緒。あいつ、問答無用で突撃しちゃうから」
「そんな悠長なこと言ってていいの? チェンカちゃん、ひどい目にあってるかもよ」

ジェイトの頭上から風景を眺めていたウィラが、左隣のシュオに憤慨したような顔を向けた。シュオはそれには構わず、くすくすと楽しそうな声を上げる。これにはジェイトも呆れ返った。

「笑うところじゃねぇだろ、シュオ」
「ああ、失敬。僕の考えが正しければ、そこは安心して大丈夫。彼らは、商品に傷はつけないはずだから」
「商品、って」
「南東辺りに売る気じゃないかな。チェンカ、高く売れそうでしょう?」

えぐい回答に、ジェイトは閉口する。ヴェイが居たらヘッドロックだろうし、チェンカ本人が聞いたらそれこそ本当に鞭でも持って来かねない。だが、二人とも不在のためか、シュオもつい口を滑らせたようだった。

「おっと、ごめんよ、ティセリーちゃんも居たんだったね。でもま、おそらくそういうことだから。ついでに言うと、例の、反政府組織の件があるから、今は全部の船の積荷をチェックしてる。僕なら落ち着くまで出発は待つかな。だからしばらくは大丈夫ってことさ。……レイオードが馬鹿じゃなければ」

さらりと付け加えられた名前。そこに、過剰に反応したのはティセリーだった。

「え……、レイオードって……」

同じ窓を眺めるシュオを振り仰ぎ、夜空のような瞳をまん丸にする。そのまま、彼女はすがりつくようにシュオの赤い服をつかんだ。どうしたのかと驚くジェイトたちを尻目に、シュオ本人は笑顔を崩さないまま、彼女に応える。

「さっき言った、反政府組織の頭目の名前。組織を運営するにはお金がかかるからね、人身売買なんてもってこいでしょう? やっぱりキミは……、うわっ!」

と、そこまで言いかけたシュオをいきなり突き飛ばし、ティセリーは転がるように執務室を出て行った。

「あ、おい、ティセリー!」

占いの結果を信じて極北行きを決めるような彼女である。目指す相手の手がかりになりそうであれば、危険を顧みずに誘拐犯の元へ飛び込むこともやってのけるだろう。
勢いでぶつけたらしい頭をさすっているシュオの姿を一瞥し、ジェイトはティセリーを追いかける方を選んだ。