第14話

 

ノクトレスはネリドと比べると大きな街である。市営軍の詰め所もいくつも存在し、広場付近にあるそこには、内部に簡単な留置所が併設されていた。ヴェイと会うために何度か訪れたことはある場所だったが、その際にもここが利用されていたことは無かったように思う。
今は、他ならない自分がその中にいるのだが。

「る、ルイーズさん」

がちゃん、と重々しい音を立てて錠前を下ろしたルイーズは、ジェイトが恐る恐る話しかけると、困ったような顔で頭を下げた。

「すみません、諸事情あって、ヴェイさんも気が立っているんです。しばらくすれば冷静になってくれると思うんですが」

その辺りは、シュオから聞いた通りなのだろう。すみません、ともう一度謝罪をして、ルイーズは去っていった。

外は皮膚がひび割れそうな暑さだというのに、石造りの牢はひんやりと湿っている。詰所の扉を閉める音を最後に静寂が訪れ、ジェイトのため息だけが壁にこだました。
困ったことに、手の拘束もそのままだった。傷痕を見られることを思えば、ルイーズが解いていかなかったことに感謝すべきかもしれないが、これでは不便なことこの上ない。自力で外せるだろうか。

「……っ、取れねぇ……」

散々ひねったり、引っ張ったりした挙句、音を上げるジェイト。どうやらヴェイは相当頑丈に縛り上げてくれたらしい。
布を解くのは諦めて、ひとまず座ろうと、格子に背を預ける。

牢の壁際には先客がいた。なんの気配もないので、全く気づかなかった。
上品な青の衣服に包んだ体は華奢で、ぐったりと床に投げ出されている。まぶたはきつく閉じられ、眠っているとは言い難い。髪と同じ真っ白な顔は、明らかに病人のそれだ。

「……お、おい、大丈夫か」

こんな状態の人間を牢の中に放置して良い訳がない。ヴェイに対する憤りが胸に湧き上がるが、ともかく、ジェイトはよろけつつも、倒れ伏した少年の元へ歩み寄った。
その顔のすぐ脇に膝をつく。手が使えないので、呼びかけるくらいしかできないが。

「い、生きてるよな。おい、おいって……」

瞬間、側頭部に衝撃をくらい、ジェイトは敷石に叩きつけられた。頭をひどく打ち付け、意識が飛びそうになる。
ぐらぐらと揺れる視界の中、白い少年がゆっくりと身を起こす。血のように真っ赤な瞳を大きく見開いた彼は、獣じみた無感情な顔のまま、ゆっくりと倒れたジェイトににじり寄ってくる。
打ち所が悪かったのか、体に力が入らない。抵抗できないこちらに覆いかぶさるようにして、少年はジェイトの首筋に食らいついた。

「……っ! な……」

ぞわ、と背筋が粟立った。耳元で喉を鳴らす音が響く。噛み破られた傷口からだくだくと流れる血液を、少年は吸血鬼のように飲んでいるのだった。何かの伝説に出てきた吸血鬼は、こうやって人の血液を奪い、死に至らしめてしまうのではなかったか。
おれは死ぬんだろうか。
指先が凍え出し、目がかすみ始める。自分の心音だけが、やけに大きく聞こえた。

「……『瑞波』」

ぽう、と淡い光が石壁を照らした。不意に体が軽くなり、ジェイトの瞳が焦点を結んだ先には、心配そうに眉尻を下げた吸血鬼。

「大丈夫? ごめんね、こっちも必死だったんだ。痛かった?」

先ほどまでの冷酷さは微塵もない。彼は、体を起こそうとするジェイトに手を貸し、冷たい壁に背中をあてがってくれる。ついでに、腕の拘束も解いてくれたようだった。
並んで腰を下ろすと、自分が歯を立てた箇所に目を留め、少年は再び申し訳なさそうな顔をした。

「痕になっちゃった、本当にごめん。普段だったらナイフとか使うんだけど、取り上げられちゃってて」
「いや、そういう問題じゃ……」
「あ、喋らないで。傷は塞いだけど、かなりたくさん血ぃ貰っちゃったから。はい、これ」

息も絶え絶えながら突っ込むジェイトの口に何かを押し込んで、強制的に言葉を切らせる少年。甘くて弾力のある、ドライフルーツだった。

「僕が出されるご飯食べないもんだから、誰かが差し入れてくれたみたい。美味しいけど、栄養にはならないんだよね」
「お前……、何なんだ?」

ドライフルーツを飲み込み、しばらく迷った末に、ジェイトは彼にそう尋ねかけた。まさか本当に吸血鬼である訳はないだろうが、普通の人間は他人を襲って生き血を飲んだりはしないはずだ。
言い方が言い方だから気を悪くするかとも懸念したが、少年は屈託のない笑顔を浮かべて答える。

「わかんない」
「……口拭いてから笑えよ」

鮮血の滴る唇で微笑まれても困る。というか怖い。

「昔は普通の人間だったんだけどねー。たぶん、一度死んで、生き返ったからかな。吸血鬼みたいに」

ぐい、と口元を拭って、少年は重大そうなことを割とあっさりした口調で告げた。

「それからは、血が足りないと凶暴になるみたい。動物でも大丈夫なんだけど、この辺て魔物も海産物ばっかりじゃん? それで、暴れたか何かして捕まっちゃったんだろうね、覚えてないけど」
「あー、そう……」
「君はなんでこんなところにいるの? 悪い人じゃないでしょ?」

少年の赤い瞳が、まっすぐにジェイトを射抜く。妙に確信的な彼に、ジェイトは息を詰まらせた。

「こういう直感は大事だって、親代わりだった人に言われたんだ」
「…………」
「あと、美味しかったから。ごちそうさまでした」

付け加えられた言葉にげんなりするジェイト。
ころころと笑う少年には後ろ暗い部分は見受けられない。根が素直そうなこともあるが、こんな風に誰かを信じられるのは一種の才能なのかもしれない。
角を曲がって消えた長い髪が、ふっと脳裏をよぎった。

「……違うんだけどな、全部」

膝を抱えた腕の中に、ジェイトは頭を埋める。そのまま、ぽろぽろと紡ぎ出す弱音を、白い少年は黙って隣で聞いてくれた。腕の傷痕については語りたくなかったので伏せたが、拘束を解かれた時に気付いているだろう。それでも、彼がジェイトの話に口を挟むことはなかった。
大体の経緯を打ち明けた後、一言だけ少年は問いかけてくる。

「……それで、君はどうしたいの?」
「わかんねぇ。でも……」

おそらくティセリーは、例の倉庫へ向かってしまったのだろう。そこにいるのが真実彼女の知るレイオードであったとして、その邂逅が平和的なものなのか、それとも違うのかすら、ジェイトにはわからないのだった。

「……このまま放っとくのは寝覚めが悪い」
「君、お人好しだって言われるでしょ」

笑顔を浮かべた少年は、よし、と威勢のいい声をあげて立ち上がった。

「僕も手伝うよ。その子を助けに行こう」
「……どうやって出るよ、ここから」
「任せといて!」

言い訳がましく呟くジェイトにくるりと背を向け、少年は楽隊の指揮でもするように、大きく両手を広げた。

「光れ、光れ! もっと強く、きらめく空の彼方に!」

何を言い出したのかとジェイトが訝しむうちに、牢屋のあちこちから光が湧き出す。それらは少年の声に呼応して輝きを増し、その頭上に集まっていく。
彩式、それもおそらくはひどく高度なもの。そして、おそらくはひどく威力の高いもの。

「もっと、もっと輝け!」
「お前っ、壁ぶち抜く気か!」
「脱獄だよ! 危ないから伏せててね。……こんなものかな? くらえっ、『超新星』!」

嬉々とした表情で、集めたエネルギーを解放する少年。巨大に成長した光の玉が爆発し、眩い輝きがジェイトの目を焼いた。同時に、手足が吹き飛びそうな衝撃波が押し寄せ、硬い石壁へ強かに背中を打ちつける。
ぱらぱらと頭の上に破片が降り注ぎ、ようやく瞼を開いてみれば、牢の格子どころか詰所の半分、さらにぶち抜いた壁の先の給水塔までがごっそりとえぐれ、無残な姿を晒していた。

「痛ったぁ、ちょっとやりすぎちゃったかな」
「おま……っ、やりすぎどころじゃねぇだろ! 室内であんなでかいもん使うな! 外に人いたらどうすんだ!」
「あはは、大丈夫だって、きっと楽に」
「そういう問題じゃねぇよ、馬鹿!」

同様に、壁の残骸に張り付いて後ろ頭を押さえていた少年を、叱り飛ばすジェイト。考えたくはないが、このけろっとした様子から察するに、自分たち二人が粉々にならなかったのは奇跡なのではないか。
息巻いたせいか、不意にぐらりと視界が揺れる。自分が貧血を起こしているのを忘れていた。対する少年は元気いっぱいに立ち上がると、うなだれるジェイトへ手を差し伸べる。

「行こう、善は急げだよ。……あ、僕はクォーツ・プラテード。君は?」

日差しの下で見た彼の顔は、やはり驚くほど白い。しかし、溌剌とした印象のおかげか頼りない印象はなく、ジェイトもつい、つられて頰をゆるめた。

「……ジェイト、だよ。ジェダイト・ローゼンスティール」
「うん、よろしくね、ジェイト。まずは埋まっちゃった武器探さないとね」
「……そうだな」

先行きが重い。