第15話

 

出された黒い飲み物は苦くて、一口含んだだけでティセリーは降参した。無言でそのグラスをテーブルへ戻し、ちらりと目の前に座る男性を眺めやる。茶髪に青い目は同じだが、愛嬌のある顔立ちと30代半ばくらいに見える年恰好は、探す人物とは似ても似つかない。

「あ、あの、ディオンさん」
「何か?」

こちらの挙動をずっと見ていた彼は、目を細めたまま咥えた紙筒から煙を吹く。ティセリーには、その匂いが不快だった。
ディオンと名乗った男性は、ティセリーがふらふらになりながらたどり着いた倉庫を仕切る立場にあるらしかった。商人である親が不在の間、その役目を預けて行ったらしい。
面会してすぐに、ティセリーはレイオードがいないとわかって落胆した。しかし、事情を話すと、ディオンはレイオードとは知り合いであると語った。

「あの、本当に会わせていただけるんですよね、レイオードに」
「もちろん。彼には今、先に南東へ行って、私たちの商品の売り先を探してもらっています。それがひと段落したら、私たちも南東へ出かけて、彼と合流する予定ですよ」
「皆さんは反政府組織で、レイオードはその頭目だって聞いたんですけど」
「反政府組織? なんのことだか知りませんが、そんな物騒なものではないですよ。レイオードだって、私たちの商売を手伝ってくれているに過ぎません。その人はどうして、あなたにそんなでたらめを教えたんでしょうね」
「はあ……」

早口でまくし立てられる言葉は、いまいち頭の中に入ってこない。充満する蒸した空気が頭の中まで浸してしまっているようだ。倉庫という以上、閉鎖的な空間であることは仕方がなく、窓は高い位置に一つしかないし、当然風通しも悪い。加えて、例の煙の匂い。
ティセリーが通されたのは、その広いスペースの一角に設えられた、休憩所のような場所だった。入り口はつい立てで仕切られ、その脇にはなぜか長い棒を手にした男性が控えている。反対側の通路にも、同じような格好の姿が二つ。

「あなたたちはどうして、誘拐なんか」
「誘拐?」

ディオンが一瞬、眉を吊り上げた。しかし、またすぐに元の柔和な笑顔に戻る。紙筒の灰を床に落としながら、続ける彼。

「それも何かの誤解でしょう。領主様の婚約者様には、我々の商品を見ていただいているだけですよ。とても希少な宝石でね、非常に気に入っていただいたんです。ご婚礼の衣装に使っていただけるかもしれませんね」
「そう……、ですか」
「あなたも、見て行かれませんか?」
「わたしは……」

それが本当なら、シュオユゥたちに心配はないと伝えてやらねばならない。宝石にも興味はないし、レイオードにもすぐには会えないのならば、一旦戻るのが良策だろう。突然飛び出してきてしまったことも謝らなければ。

「使いの者を出しましょう。あなたはゆっくりここで待っていればいい」

しかし、そう告げるとディオンは強引とも言える調子でティセリーを立たせた。そのまま彼に促され、倉庫の奥に続く通路へ導かれる。立っていた男たちの片方が無言で先を行き、残る一人が後ろで扉を閉める。がちゃん、と重い音。そこは、明かり取りの窓すらない、真っ暗な空間だった。

「まさか、ここにきて商品が勝手に増えてくれるなんてね」

首の後ろでディオンが笑う。

「けどディオンさん、こんな垢抜けない女ぁ、売れるんですかね」
「売れる売れないじゃない、売り込むのさ。俺らは商人だからな」

交わされるやりとりに息が詰まる。ティセリーは、ここでようやく自分が甘かったことを知った。屋敷を飛び出した時の、ジェダイトの言葉が頭の中でこだまする。
お前が探してるレイオードは、金稼ぐために人攫ったりする奴なのか?

「嫌……っ!」
「『超新星』!」

かっ、と突然、まばゆい光が弾けた。

「うわあっ!」
「ぐあ……っ」

目の奥が真っ白に染まる。衝撃で尻餅をついたティセリーが恐る恐る瞼を持ち上げると、大穴が開いた壁の向こうに青い空と知らない少年、そして見覚えのある鮮やかな山吹色の髪。
ジェダイト。

「……かっこ小型」
「またこんな壊しやがって。知らねぇぞ、おれは」

ざらざらと耳に引っかかる声でぼやきつつ、彼は座り込んだティセリーに気づくと、しばらく視線をさ迷わせたのちに目元を伏せた。

「……その、さっきは悪かった、驚かせて」
「え……?」
「いや、あの、あれについては色々事情があるというか……、あ、明日」

ぱっと上げた顔には、ただ真摯な表情。

「明日、ちゃんと話す。何か、食べたいもんあるなら作るし……」

なぜここで食べ物の話に?
きょとんとするしかないティセリー。こちらの反応に対してうろたえるジェダイトに、白い髪をした少年が小さく噴き出した。

「ジェイトってば、それじゃ食べ物で釣ろうとしてるみたいだよ」
「そ、そんなつもりじゃねぇよ。ただ、落ち着いて話したいと思っただけで……」
「じゃあそう言えばいいのに。口下手だね」
「うるせぇな……」

わずかに耳たぶを紅潮させ、明後日の方へ顔を背ける彼。今度こそ少年が声をあげて笑い出す。

「ディオンさん、どうし……、うわっ!」

今頃駆けつけて、惨状に目を剥く男たち。素早く鞘を捨てたジェダイトが走り、彼らがとっさに構えた棒を切り捨てる。
その彼の頭上を、重い風圧がかすめ去った。がきぃん、と硬質の音を立てて止まったそれは、白い少年が手にした巨大な槍。本来なら騎士が馬上で使うための、重量級のものだ。

「あっぶねえな! 当たったらどうすんだよ!」
「大丈夫、きっと楽に」
「殺す気か!」

怒鳴るジェダイト。もちろん彼も無事なようだし、動きを止めた男たちも、その威力に戦意喪失しただけらしい。
少年の槍が直撃した箇所は、砕けた煉瓦がぱらぱらと崩れ、鉄格子付きの扉が大きく歪んでいた。

へたり込んだ男の一人と交渉していたジェダイトが、ティセリーに何かを放ってよこす。小さな、金属製の鍵だった。

「それ頼む、ティセリー」
「え、あ、はい」
「クォーツ、お前、こいつら縛る彩式とか使えねぇの?」
「だって僕、ちゃんとした彩式士じゃないもん」
「じゃあ檻の中に入れとくか」

ジェダイトがため息をつく。と、もう一度どかんと腹に響く爆発音がした。

「今度はなんだ!」

半泣きで叫ぶのは男たちの一人。答えはこの場からではなく、通路を曲がって現れた人物から返ってきた。
赤い装束、蓮の腕輪。

「やあ、ジェイト。主犯が外でガタガタ震えてたから、適当に縛って転がしといたよ」
「シュオ! お前、ここには入れねぇって」
「ティセリーちゃんのおかげでね。縋り付かれた時に細工させてもらったんだ」

慌てて、背中をまさぐってみるティセリー。すると、ちょうど髪で隠れる位置に、細長い紙切れが貼り付けられていた。剥がすと、それは緑色の煙になって消える。

「お前、どこから仕組んでたんだよ」

煙の先を見送り、ジェダイトがシュオユゥを睨みつける。

「ごめんごめん。まあ、なんにせよこれで解決だ。お礼もしたいし、ヴェイに謝らせたいし、何よりジェイトが美味しいもの作ってくれるらしいから、とりあえず今日は泊まっていってよ。部屋ならいっぱいあるからさ」

満面の笑顔を浮かべる彼。同時に、次々と取り出す紙切れが光となって、誘拐犯一味を拘束していく。

未だに座り込んだままのティセリーに、ジェダイトが無言で手を差し伸べた。ボロ布同然になってしまったグローブの上から、薄青い布で二の腕を覆っている。
黙ったままぼんやりそれを眺めていると、困り果てた様子で、彼はその手を引っ込めかける。それを、ティセリーはとっさに掴み寄せた。

「……あ、あの」

傷痕が恐ろしかったのは事実である。しかし、それを理由に彼の全てを拒絶するのは、早計な気がした。
新緑と同じ色の、揺れる瞳を仰ぐ。

「……甘いものがいいです」
「は?」
「明日、好きなもの作ってくれるって。だから、甘いものが……」

ぽかんとした顔をされ、ティセリーの言葉も尻すぼみに小さくなった。ジェダイトはそんな自分をしばし見下ろしていたが、やがて、ほんの少しだけ笑みをこぼした。

「……わかった、とっておきのやつな」

彼の笑顔をちゃんと見たのは、思えばこれが初めてかもしれなかった。