トマトと香草をたっぷり使った焼きたてのピッツァに、新鮮なエビと貝を混ぜて炊き上げた、港町ならではの海鮮パエリア。ふんわりした黄色のオムレツが並び、紅茶のピッチャーが追加される。
大きな皿が次々と運び込まれる様に、ティセリーは目を白黒させていた。
「わたし、さっきもパンいただいて……、こんなに入りません」
「おれだって入んねぇよ。大丈夫、全員分だから」
白い取り皿をメイドから受け取り、彼女へ回してやる。切り分けられたピッツァを一枚確保したシュオは、早くもご満悦な口調だった。
「食べ盛りの体力馬鹿と口の小さな女王様が同居するにあたって、こっちの方が便利ってわかったからねぇ」
その時、話題に上がった本人が植木とメイドの群れを避けながらテラスへ入ってきた。入浴後、先に行ってろと指示を受けたのだが、その理由が今、彼の腕の中にある。
兄の両隣に空いた席を見下ろし、渋い顔を浮かべるヴェイ。
「どしたの、座れば?」
「お前の隣にチェンカ降ろしたくねぇんだが」
「君、意外とヤキモチ焼きだよねぇ」
「なんて言われようが嫌だ。断る。ぜってぇ嫌」
頑なに立ったままの彼に、ジェイトが立って場所を移動した。これで、婚約者同士が並んで座る場所ができる。
「ありがとね、ジェイト」
「……別に」
横抱きのまま艶やかな笑みを見せてくる彼女から、視線を明後日の方向へ彷徨わせるジェイト。鮮やかなオレンジ色の髪とぶどう酒色の強い瞳を持つ彼女こそ、レイフォン邸に君臨する女王であり、南西の虎とあだ名される剣士が唯一頭の上がらない相手でもある。そしてジェイトにとっては、類まれな美貌と、華奢な手足にそぐわないグラマラスなスタイルが、いささか以上に刺激の強い女性だった。
「おはよう、チェンカ。キミにしては早いね、昼だけど。疲れは取れたかい?」
「ええ、枕が良かったから。あんたも少し腕鍛えたほうがいいわよ?」
「なるほど、参考にしよう。まだ日が高いから、惚気話はここまでにしようか」
魔王と女王のやり取りは終始にこやかだが、傍らで聞いているこちらは危うく紅茶を吹き出すところだった。当事者であるヴェイにはより高威力なのか、目元を覆っていても赤面しているのがわかる。理解が及ばなかったらしいティセリーが迷子のような視線を向けてくるものの、申し訳ないがジェイトは黙殺した。
それきり、場の空気には興味がなさそうに、切り分けたオムレツを口に運び始めたチェンカを、微笑ましそうに眺めながら、シュオが話題を変える。
「ところで、騙したこと謝ってなかったね。早いとこ解決したかったもんだから、レイオード利用させてもらった。ごめんね?」
「え、あ、はい、あの」
「シュオ、どこからが嘘なんだ」
うろたえるティセリーの様子から、どう聞けばいいのか迷っているものと察して、代わりにジェイトが問いかけた。
「極北の反政府組織の話は本当。そのリーダーと目される人物がレイオードっていうらしいのも本当。昨日の誘拐犯たちが反政府組織の一味だっていうのは嘘」
「でも、ディオンさんはレイオードを知ってるって……」
「ああ、そりゃ嘘だ」
パエリアのエビにフォークを突き立てたヴェイが首を振る。
「すげぇテンパった女がドアばんばん叩いて、開けてレイオード、って叫ぶから、知ってるふりしたんだとさ。そこの性悪とやり口は同じだな」
「失敬な、僕の方が騙し方はスマートだよ」
「張り合おうとするんじゃねぇよ」
話の流れで自分の慌てぶりを暴露されてしまったティセリーが、真っ赤に染まった頬を両手で隠すように包む。ジェイトと視線がかち合うと、桃色のまつ毛が恥ずかしそうに下を向いた。
「あの、ごめんなさい」
「何が?」
「……昨日の」
突然の謝罪。しかし、その後彼女は口を濁し、結局何に対しての言葉なのかは、結局不明瞭なままだった。
体力が資本のヴェイはもちろんだが、細身なシュオも意外と結構な量を食べる。あれだけの料理が並んでいたテーブルがすっきりと片付くまで、それほど時間はかからなかった。
「ジェイトさん、デザートはどうしましょうか」
「あ、おれ、取りに行きます」
「いいよ、座ってな。リリィ、頼めるかい?」
一礼して下がったメイドがワゴンを押して戻ってくると、ティセリーとチェンカの口から同時に歓声が上がった。ふざけたシュオが、悪戯めいた笑みをこちらに向ける。
「パティシエさん、本日のメニューはなんですか?」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。右から、シュオの好きなレモンとクリームチーズ。チェンカさんお気に入りの洋梨。チョコのはあんまり甘くないからヴェイ用で、イチゴの乗ったのはティセリーに」
小さめのタルト4種は、早起きしたジェイトが朝から作っていたものだった。レイフォン邸3人の好みは知っているが、ティセリーからリクエストされた「甘いもの」は、悩んだ末に定番のものを選んだ形である。
タルトをテーブルへ移し終えたメイドが、心なしか期待するような声で尋ねてくる。
「あのー、もう一つ残ってる、大きなりんごのタルトはどうしますか?」
「あれはメイドさんたちでどうぞ。キッチン貸してもらったし」
やったぁ、と飛び跳ねた彼女は、主人の前だったことを思い出してか慌てて頭を下げると、控えていた女性と共にはしゃぎながら戻っていった。
「ジェイトはうちに来るとモテモテだねぇ。働けば? 昼は市営軍やって、夜は料理人やるといいよ」
「過労死しそうだから断る」
どこまでが本気かわからないシュオの誘いに、紅茶を継ぎ足しながら首を振るジェイト。
手作りのカスタードを盛った上にバランスを見てイチゴを配したタルトは、形も味も申し分ない、結構な自信作となった。しかし、ふと隣に目をやると、それは皿の上でガタガタに崩れ、フォークを手にしたティセリーが肩を落としてうなだれていた。
「何があった……?」
「ナイフ借りれば良かったです。半分にしようと思ったんだけど、割れちゃって。ジェダイトさ……、ジェイトの分が無かったから」
「ああ、いや、おれは別に」
わざわざ呼び直す彼女に、自分で要求しておきながら若干つっかえる。そんなジェイトに向けて、彼女はまっすぐに顔を上げた。
「違うの、わたし、ジェイトにお願いしたいことがあって」
「お願い?」
吸い込まれそうな群青色の瞳。
「お願い、もう少し、わたしと一緒に来てください。わたしだけじゃ、また昨日みたいに一人で暴走して、レイオードに会う前に危険に巻き込まれるかもしれない。だから、一緒に来て、わたしを助けて欲しいの」
思ってもみなかった言葉に、ジェイトは息を飲んだ。しかし、ウィラもいない今、確かにこのままティセリー一人で旅を続けるのは難しいだろう。
「……やっぱり、ダメかな」
黙ったままのこちらに、悲しげな顔をするティセリー。ジェイトは慌てて口を開く。
「いや、ごめん、びっくりして。おれでいいのか?」
「うん。ジェイトにお願いしたいの」
「……そっか、おれなら全然」
一瞬、柔らかな甘さが唇に甦る。
「……大丈夫だけど。手伝えるなら手伝うよ」
まだ、まともに顔を合わせられる自信が無い。
「ありがとう……」
こちらの胸の内などは知らずに、ぱあっと表情をほころばせるティセリー。混じり気のない笑顔に、そこを逃げ道代わりにしたジェイトの良心が痛んだ。
「……で、それタルト半分と交換条件なの?」
取引が成立したのを見計らって、静観していたシュオが茶化しにかかる。
「わ、わたし、そんなつもりじゃ……」
「そうよ、分けてやることなんかないわ。じゃんじゃん使ってやんなさい。ジェイトは気が効くから、初心者向きの良い下僕になりそうね」
ご機嫌麗しそうなチェンカも、横から口を出す。
「ジェイト、褒められてるぞ?」
「光栄ですって言ってごらん、下僕ランクが上がるから」
下僕ランクって何だ。
「お礼……、どうしよう。ジェイト、何か欲しいものとか、ある?」
砕けたイチゴのタルトに目を落とし、問いかけてくるティセリー。だが、別に見返りを期待してのことではないので、ジェイトも言葉に詰まる。
「じゃ、代わりに僕からお礼をしておこう。仮にもティセリーちゃんの師匠になったわけだし」
「え、そんな」
「いいのいいの、ここは甘えておきなさいって。はい、ジェイト。うちの弟子をよろしく」
笑顔のシュオが取り出したのは、黒い革製の財布だった。ぽん、と無造作に、テーブルの真ん中へそれを置く。二つ折りで、結構な厚さがあった。
「あげる」
「丸ごとっ?」
「嫌かい? じゃあ仕方がない。その辺にばらまくから、這いつくばって拾うといいよ」
「いやおかしいだろ、その二択」
「まあ、そう言わずにもらってよ。ジェイトこの前誕生日だったでしょ。それも兼ねて。現金で悪いんだけどさ」
「あ、なんだ……」
種明かしを聞いてほっとする。
「そう。あとは昨日のお礼と、ヴェイが迷惑かけた慰謝料と、デザート代かな。財布は利子で。それから、ティセリーちゃんのお礼、と」
別の白い財布から紙幣を二枚抜き出したシュオは、それらを追加で黒革の上に重ねた。
「服買っておいで。北半球はクー・リディに入ると一気に冷えるから。新しいグローブと、あとマフラーとかいいかも。その傷、結構目立つよ?」
指摘され、ジェイトは首筋に残った新しい傷跡を無意識に手で覆う。クォーツに噛まれた時のものだ。
「ヴェイ、昨日、牢の中にいた奴さ」
「ああ、あの真っ白いのな。どうした?」
彼の彩式で脱獄したことは、すでにヴェイへ報告済みである。しかし、まさか血を吸われましたとは言えず、結局どうでもいいことが口から出た。
「……なんか仲良くなった」
「へぇ、珍しいな、良かったじゃん」
「獄友はあんまりオススメできないなぁ」
「どっちも濡れ衣だからいいんじゃね?」
「どっちも君が捕まえたんだって覚えてるかい?」
図星だからか、渋い顔をしてヴェイが黙る。隣に座るチェンカが楽しそうなのはきっと、彼女を救い出すために彼が暴走していたことを、シュオからすでに聞いているからだろう。
ひとり不安そうなティセリーが、恐る恐るといった問いを投げかけた。
「あの、シュオさん。定期船は……?」
「そっちはウィラの報告待ちだね。……提案なんだけどさ、試しに外堀から埋めてみるってのはどうかな? ヴァーディンの博物館に、最近極北から移ってきた学芸員さんがいるんだ。彼なら、反政府組織について何か情報を持っているかもしれない」
「がくげいいんさん、ですか」
明らかにわかっていない発音の彼女。
「学者さんかなぁ。アリ・ディーっていって、生まれは砂漠なんだけど、あちこち渡り歩いているみたいだね。面白い論文を書く人だよ。この間の、ミディア博士の研究に関するレポートは秀逸だった」
「ミディア博士って戦犯だろ?」
「思想と研究成果は別だからねぇ」
飄々と答える彼に、ジェイトは出した横槍を引っ込めるしかない。呪文いらずで効果を発動する彩式符を発案し、彩式学校からも表彰を受けたのは、眼前の魔王である。
「極西なら汽車で三日でしょ。レイオードや反政府組織についてとりあえず聞いてみて、行けそうならオリンズ港からグラヴァルド経由でフロスドロップへの船があったはずだ。ダメそうなら戻ってきて、一旦ウィラの帰りを待てばいい、ね?」
「そうだな。ティセリーも、それでいいか?」
「はい。ありがとうございます、シュオさん」
丁寧に頭を下げるティセリーに、シュオは満足そうに頷いた。
「シュオは、ジェイトには甘いよな」
しみじみと呟くヴェイに、珍しくシュオが目を丸くする。
「そうかな」
「自覚なかったのかよ、相当だぞ。俺やウィラが頼みごとなんかした日には、交換条件が極北遠征じゃすまねぇよ」
「確かにそうかも。じゃあ、ジェイトにもお願いしようかなぁ」
「おい、そういうつもりで言ったわけじゃ」
慌てて撤回しようとする弟を押しとどめ、思わず身構えたジェイトに、シュオは満面の笑顔をくれた。
「君が初めて見てきた世界がどうだったか、無事に帰ってきて報告すること。これが送り出す条件だ。守らなかった時にはひどいから、覚悟して行っておいでね」