第19話

 

旅の準備も兼ねて、その日はもう一晩レイフォン邸のお世話になった。
さすがに目指す先が極西となれば、装備の面でも心持ちの面でも、ネリドからノクトレスのような軽い気分ではいかないものがある。大陸が違う。行政区分が違う。気候も、文化も、歴史も、ジェイトにはまるで馴染みのない場所なのだ。緊張とも期待ともつかない妙な気分で、その夜はなかなか寝付くことができなかった。

南西と極西を直接つなぐ大陸間鉄道は、ノクトレスの西口が発着場になっている。双子領主はともに多忙で、見送りにはヴェイが巡回途中に寄ってくれたのみだった。

大戦時にはディロウの軍港だったノクトレス。そこへ迅速に物資を運ぶために整備されたのが、この彩式で動く大規模な鉄道である。確かに多少値段は張るものの、わずか数日で安全にヴァーディンまで着くことができるため、今でも一般に重宝されていた。

徐々にスピードが落ち、信じられないほどの速さで流れていた車窓からの眺めも、緩やかに静止する。初めて降り立ったミゼラ大陸の風景は、一面に白く、規則正しい町並みだった。

「涼しいな」

明らかな気温差に感慨を漏らすジェイト。地図で見れば3セス程度しか北上していないのだが、肌がひりつく南西の気候に慣れた身としては、同じ夏とはとても思えない。

「ネリドやノクトレスよりは涼しいかも。わたしには、まだ結構暑いんだけど」

続くティセリーは、辺りを見回しながら降りてきたせいで、危うく階段を踏み外しそうになる。慌ててジェイトが支えると、ほんのりと頰を染めて「ありがとう」と微笑みを見せた。
その胸元で揺れる、石を連ねたペンダント。シュオが調達してきたそれには、彼女が無くしてしまったお守りと同じ、聖母の申し子体質を抑える効果があるのだという。事実、一度汽車の中で、寝台スペースを区切るカーテンに大きめの蜘蛛が張り付いていたことがあったが、ティセリーが泣いて取り乱すだけで稲妻は発生しなかった。
ちなみに、彼女のトラウマとなってしまったその事件以来、寝るときにカーテンが引けなくなってしまったのはまた別の話である。信頼してくれるのはいいが、当然ながらジェイトはまるで気が休まらなかった。

「どうする? 博物館を探すの、少し休んでからにするか?」

体のバランスを立て直したティセリーに、問いかけるジェイト。列車の旅は快適だったが、ずっと座りっぱなしでは、徒歩とはまた違った疲労も溜まっているだろう。

「大丈夫。それより、少し街を歩いてみたいな」
「わかった。ついでに食事とれる場所も探すか」
「うん」

ジェイトも特に異存はないので、荷物を担ぎ直すと、一番広い通りに向けて歩き出す。ここが駅前のメインストリートであるらしく、人や馬車の往来も多かった。
すっかり打ち解けたティセリーが、すぐにジェイトの新しいグローブを引いてくる。

「ねぇ、同じ服の人が沢山いるね」

楽しそうに指差す先には確かに、一様に白いローブをまとった人々が行き交っている。その多くは真面目くさった顔で、分厚い本を脇に抱えていた。

「ああ、学生じゃねぇかな。おれも、標準学校は制服だったし」
「がっこう?」
「ヴァーディンには貴族とか偉い人の子どもが教養で行く大学があって、その収入で色々やってんだって、シュオだかウィラだかが前に言ってた」
「ジェイトもそこに行ってたの?」
「いや、おれのはただの標準学校……、って、ティセリー、学校って、わかる?」

彩素の基本知識も怪しかった彼女は、案の定ジェイトの予測を裏切らなかった。ごめんなさい、と悪いことをした訳でもないのに、申し訳なさそうに頭が下げられる。

標準学校での義務教育制度はディロウ文化圏であれば割と広範囲で根付いており、元は植民都市だったネリドなどのイェルア大陸西部もその例に漏れない。一方、シアニー大陸や砂漠の民族など、違った文化を持つ人々の間では、そもそも学校自体が存在しない場合もあると、やはりシュオだかウィラだかから聞いた覚えがある。
一つの政府の治下にあるとはいえ、こんな地域格差は仕方のないことなのだろう。何しろ、互いにいがみ合っていたのはたった7年前の話なのだから。

「じゃあ、字とか」
「…………」
「……、わかった、そのうち教える。おれでよければ」
「お願いします……」

ため息が出そうになるのをぐっとこらえる。彼女に非があるわけではないし、そもそも非ですらない。旅をするにはやや不便だろうが。

沈痛な面持ちのティセリー。その気晴らしになるようなものがないかと、ジェイトは辺りを見回してみる。すると、奇妙な人影が目に留まった。

「なんだ、あれ?」
「え?」

大きな目に、微笑んだ形で固まった口元。細身のシルエットは人間とよく似ているが、つるっとした青い表面は金属の質感である。反対側の歩道で直立していたそれは、ジェイトとティセリーの視線に気づいたのか、ぎこちない動作で道路を横断し、二人の目の前に立った。
丸みを帯びた身体は女性のつもりらしいが、意外と背が高く、ジェイトですら見下ろされる。なんだか変な威圧感があり、ティセリーが不安げにこちらへ寄り添ってきた。

「ドチラヘ参リマスカ」
「は?」
「ドチラヘ参リマスカ」

抑揚のない声で繰り返すそいつに、二人は顔を見合わせる。すると、相手は妙な勘違いをしたらしい。

「パパトママハドコニイマスカ」
「……あの、おれ達だけですけど」
「4番ストリートニテ迷子ヲ保護シマシタ。本部ヘオ連レシマス」
「迷子? って、うわ!」
「きゃあ!」

淡々と言葉を続けたそいつは、突然ジェイトとティセリーの手を掴み上げると、そのまま大股でがしゃんがしゃんと通りを進み始めた。驚くほどの握力に抵抗もできず、どうにか足をもつれさせないようにするのが精一杯である。白い通行人の一部が、迷惑そうな視線をよこした。
何度か角を曲がり、強引に連れ込まれたのは、白い建築物のボスのような立派なホール。大理石の床に無骨な足音を響かせていた正体不明の相手は、正面に備え付けられたカウンターの前で、ようやく歩みを止めた。

「迷子ヲ保護シマシタ」
「あら6号、今度はどなたなの?」
「無駄ですって。……引き受けた、6号。お前は持ち場へ戻りなさい」
「承知シマシタ」

ぱっ、と拘束が外され、ため息をつきつつ、ジェイトは自由になった手首をさする。狼狽え顔のティセリーとともに、あっさり踵を返した謎の存在を見送っていると、背後のカウンターで女性がくすくすと笑い声を立てた。

「ごめんなさいね。6号は最近回路の調子がおかしいみたいなの。そろそろ博士に見てもらわないと」
「この前整備したばっかりじゃないですか。もうダメですよ、あいつは」
「整備? 6号って……」
「今の、あいつのことです。見たところ旅行中の方々ですね。助手人形は初めてでしょう?」

えくぼを浮かべた男性が、どこか得意げに応える。

「ようこそ、学芸都市ヴァーディンへ。そして、ようこそ、世界一の博物館へ。ああいう珍しいものは、当館には数え切れないほどありますよ」