第2話

 

施療院に勤める兄に届け物があるというユナと別れ、ジェイトはウィラが滞在している宿屋を訪れていた。観光客の多いネリドには宿屋の数も相応にあるのだが、彼が食事もつかない安宿を選ぶのは珍しかった。ジェイトが腰掛けるだけで、古いベッドがぎしりと軋む。

「オフだからね。良い宿に泊まるのは経費で落ちるときだけ」

大げさに肩をすくめながら、ウィラはジェイトの真向かいに文机の椅子を持ってきて座る。中枢政府で総帥直属の地方監査官として働いている彼ならそれなりの給与をもらっているはずなのだが、派手な見た目に反して意外と倹約家なのだった。

ウィラに指示されるまま、ジェイトはブーツを脱いで彼の膝へ折れた右足を乗せる。

「あ、応急処置はしてあるんだね。……ってことは、また軍について行ったんだ? ディールに怒られたでしょ?」
「話してない」
「バレた時が怖いパターンじゃん。ちゃんと行きなよ、施療院」

顔にかかる長い髪をかきあげて、ウィラは包帯をくるくると器用に巻き取ると、むき出しになった添え木を外して窓の外へ放った。

こんなことは何も今回に限ったことではなく、市営軍が魔物退治に向かうと聞くたびに、軍属でもないジェイトはこっそりそれについて行き、大抵の場合怪我を負う。何度注意されても懲りずに同じことを繰り返すので、最近では軍を率いる市長のお説教もどこか投げやりだった。
正義感なんて大層なもののためではない。
ただ、無くしたはずのものがふっと戻ってきてやしないかと、周りを見渡す行為に似ている。

「……じゃあ、とりあえずちゃっちゃと治しちゃうけど、それあんまり褒められたもんじゃないからね?」

若干咎めるような目つきの後、ウィラは身を屈めてベットの下から水晶のついた長杖を引っ張り出す。それを左手に持つと、今度は逆の手の指を2本、顔の前で立てた。
リングをはめた中指に光が灯る。他に光源のない部屋の内部をぼんやりと照らし出す、淡い薄緑色。
それはジェイトの見ている前で、同色の光の帯を残しながら空中を滑り、円と多角形を組み合わせた複雑な紋様を形作っていく。

彩式という技術は、本来なら口頭で呪文を唱えることで空気中の彩素に干渉するらしいのだが、彼の場合はそうではなく、複雑な指示を含んだこの図を使って、おとぎ話に出てくる魔法のような現象を起こすのだという。
聞きかじっただけなので詳しくはわからない。彩式は標準学校で習うような一般教養ではなく、学びたくば南東地方にある世界でただ一つの専門学校に入るしかないからだ。

もっとも、ウィラ自身が非公式にその技術を伝授したシュオ曰く、相当の才能がないと彼のような手段は取れないとのこと。このふざけた青年が天才と称される理由はそこにある。

ウィラの指が滑らかに光の円を繋ぐと出来上がった紋様は瞬間、一際強く輝いた。
眩しさに、思わず瞼を伏せるジェイト。ふんわりと骨折した箇所を優しく撫でられるような感触がして、再び目を開けた時にはすでにすっかり足は完治していた。

軽い調子でウィラが微笑む。

「はい、おしまい。しばらくはあんまり無茶な使い方しないこと。ひと月以内にまた折ったらジェイトの奢りでメニュー全制覇するからね」
「わかったよ……、ありがとな、ウィラ」
「いいっていいって、お礼なんか、夕飯食い行った時にチーズケーキつけてくれれば」

どちらにしろ奢りは確定済みらしい。
ちゃっかり者の彼に軽く嘆息し、ジェイトは右足に触れてみる。腫れも引き、あの痺れるような嫌な感覚も消えていた。

「ジェイト、言っとくけど」

急に口調を改めるウィラ。目を上げると、らしくない真剣な瞳と視線が合った。

「その状態は常に危険と隣り合わせだ。ジェイトがどんな気持ちで軍についてくのかなんて俺にはわかんないけど、くれぐれもそのことは忘れないで。……気づいた時には取り返しがつかないことになってた、なんてことがないようにね」
「……ああ」

何度も聞かされた忠告。耳に痛いその言葉を繰り返されるたびに、ジェイトは重く受け止め、ともすれば暴走しがちな自分を戒める。
いつか、命までも失ってしまうのを防ぐため。

「……っていうか、マジで無鉄砲もほどほどにしないと、いろんな意味でこの先怖いよ?」

ふにゃん、とウィラが表情を緩める。

「だってジェイト、端から見てると立派なマゾ」
「違ぇよ! 怪我すんのが好きなわけじゃねぇ!」
「ホントにぃ? チェンカちゃんみたいなおねーさまに鞭で責められたいとか思ってない?」
「思ってない!」
「そう。じゃ、話は変わるけど、荒縄とロウソクだったらどっちが好き?」
「変わってねぇだろ、それ……」

散々こちらをからかって、おかしげに声をあげて笑うウィラだった。勘弁してくれよ、とため息をつき、ジェイトはそんな彼から顔を背ける。
と、狭い部屋へ向かって慌てたような足音が近づいてくるのが聞こえた。
続いて、ノックの音。

「ウィラ、いるか? 私だ」
「留守でーす」
「そんな居留守があるか!」

ばん、と壊れそうな勢いで扉が開かれた。息を荒げて立っていたのは、葡萄茶色の髪に青い目をした壮年の男性。タイを結んだ襟元が乱れている。

「ちょっと、ボロ宿なんだから気をつけてよ、市長」
「ボロ宿にいるお前が悪い。おかげで探すのに手間取ったではないか……。おや、ジェダイトも一緒だったか。足は治ったかい?」
「……ジェイトでいいって、何度も言ってるだろ……」

呟いて、ジェイトはまっすぐ見つめてくる彼から視線をそらす。いつでも颯爽としたこのネリド市長、ラルフ・セアルスは、いい人なのだが、いい人すぎて若干苦手な部類に入る人間だった。

無言で完治した足を示すと、ラルフは破顔して上からぐしゃぐしゃとジェイトの癖っ毛を混ぜ返した。

「そうか、それは良かった。この間のような無茶はするんじゃないぞ。フィーネさんも悲しむ」
「それより市長、随分慌ててたけど?」

ウィラの問いかけに、ラルフは表情を引き締める。

「ああ、お前の力を借りたい。市内で騒ぎが起きていると通報があってな」
「なんで俺? 軍は?」
「あいにく、街道の警備でてんてこ舞いだ。観光客の馬車が多い時期だからな」
「ネリドの軍が忙しくない時、見たことないんだけど、俺」

街道の警備から魔物の討伐、市内の巡回に通用門の見張りなど、市営軍の仕事は幅広い。そして、ジェイトもラルフから熱心に誘われているように、人手は常に不足していた。

渋い顔を見せるラルフに対し、ウィラはにこにことした表情を崩さず、椅子から腰を上げた。

「いいよ、市長の頼みだしね。場所は?」
「施療院だ」

緊迫した声音に、ジェイトも目を見開く。施療院に向かうユナの後ろ姿が脳裏に蘇った。

「おれも行く」

松葉杖を掴んで立ち上がる。言うと思った、とウィラが笑いを噛み殺すように呟いた。

「待ちなさい、ジェダイト。君は足が治ったばかりだろう」
「治ったんだからいいだろ」
「駄目駄目、市長。こうなったら聞くジェイトじゃないよ」
「ウィラ、笑ってないで引き止めろ!」

立ちはだかろうとするラルフの脇をすり抜け、ジェイトは狭い部屋を飛び出した。
後ろからウィラの笑い声が響く。

「あはは、これは早速、今日の夕飯がフルコースかな?」