「ねえ、ジェイト、奥見に行ってもいいかな?」
白衣の二人が消えてすぐ、ティセリーは好奇心を抑えられなくなったらしい。
「……見るだけならいいんじゃね?」
というか、相当暇しているらしいアリなら、こうした興味関心は大歓迎してくれそうだった。
一応頼まれてしまっているので、ジェイトは入り口付近に残り、ティセリーだけがテーブルを回って奥を覗きに行く。意外と先が長いのか、翻ったスカートが本棚の向こうに消えても、なかなか彼女が戻ってくる気配は無かった。
壁に身をもたせかけ、しばらく待ちの体勢に入ったジェイトの視界を、黒い猫が不意に横切る。こんなところまで入り込んでしまったらしいそいつは、警戒心も露わな目をこちらに向けた。なんとなく見覚えがあり、少し考えた果てに、喫茶店で同行を申し出て来たティセリーの固い視線を思い出す。
見ず知らずの男二人についていこうとするなんて、無謀もいいところだ。彼女自身それはわかっていたのだろうが、それ以上に必死だったに違いない。
彼女にそこまでさせるレイオードという人物は、一体なんなのだろうか。
「きゃっ」
小さな悲鳴を聞きつけ、壁から身を離すジェイト。猫はさっと何処かへ消えてしまった。
奥へと足を進め、追いついた背中へ声をかける。
「どうした?」
「あ、ごめんなさい、ちょっとびっくりして。……あの、この人も人形? だよね?」
「この人?」
ここが部屋の突き当たりなのか、ティセリーはそれ以上進もうとはしない。彼女の肩越しに覗き込んだジェイトは、思わず目を見張った。
殺風景な壁を背にして立つ、美しい女性。ゆるく巻いた金髪はつややかで、同じ色の長いまつ毛が閉じた目の周りを縁取っている。ロングブーツと、ただでさえ細い腰を締め上げるコルセットの鮮烈な赤が、くすんだ倉庫の中で異様に際立っていた。
だが、白い肌に血色は無く、その体は凝った作りのガラスケースに封じられている。ここがアリの工房でなければ、死体だと即断してしまうところだ。
人形だとすれば、作り物めいた美貌も妙に納得がいく。しかしその反面、無機質な助手人形たちとは似ても似つかない。アリが宝物と形容したのは、きっと彼女のことだろう。
「……動くのかな?」
「これは、違うんじゃねぇかな。普通の、動かない人形だと思うよ。ちょっとでかいけど」
「でも、本物みたい。すごく綺麗……」
つい、と彼女は指を伸ばし、ガラスケースの表面をなぞろうとした。が。
「にゃあ」
「きゃ!」
踏み出しかけた足元に絡みつく黒猫。
ティセリーはよろけ、慌てて支えようとしたジェイトも巻き込んで、二人してバランスを崩す。ばんっ、と勢いよくガラスケースに手をつくジェイト。うっすら目を開けると、ケースと自分の間に挟まれるような格好になったティセリーと、至近距離で視線が合った。
「……あの」
「……、悪い」
そそくさと離れようとするジェイトの耳に、ティセリーのものではない高い声が届く。
「再起動の準備開始。再起動します」
作り物のようだった人形の唇が言葉を紡いでいる。呆然とするジェイトの様子を見て、ティセリーも背後の変化に気づいたようだった。
ゆっくりと開かれた瞳は鮮やかな夕焼け色。ケースの中の彼女は、まるで時間を止める魔法が解けたかのように動き始めていた。
ただその変化を見つめていた二人に対して、目覚めたばかりの女性はこんこん、と内側からガラスケースの扉を叩く。開けろ、ということらしい。もっともだ。
床に足を下ろした彼女は、ヒールのためかジェイトよりもやや目線が高かった。
「今はいつかしら?」
「は? えっと、ドム・パルールの42日……」
「何年?」
「創年3048年、だけど」
「そう、じゃ、7年ぶりの再起動ってわけね。ここはどこなの?」
「あなたは、お人形なんですか?」
立て続けの質問にティセリーが割り込む。押され気味だったジェイトは一息つくが、女性はわずかに機嫌を損ねたようだった。
「お人形っていうと、本当におままごとのお人形みたいね。あたしはリュシアン・E・フェルナート。キース・フェルナートが持てる技術の全てを尽くして作り上げた、彼の最高傑作よ」
「自分で言うか……?」
ジェイトの突っ込みは見事に無視される。
「それで、ここはどこなのかしら? サテルオークの研究所? 見たところ工房のようだけど、あなたたちは技術者じゃなさそうよね」
呟くリュシアン。その時、何やら騒々しい物音と不機嫌そうな声が外から近づいてきた。
「まったく、ディーはどこへ行きおった。とっととあのポンコツを片付けろと……」
茶色い髭を生やした男が部屋へと踏み込んでくる。こちらに気づき、眉をひそめる彼の太鼓腹の上には、館長と書かれたネームプレート。
「なんだ、ここは一般客が入って良いところではないぞ。立ち入り禁止と表に張り紙があったろう」
近場のジェイトからティセリーへと険のある視線をスライドしていく館長は、しかし、窓際のリュシアンと空っぽのガラスケースを認めた瞬間、見る間にその顔を蒼白に変えた。
「お、お前何故……、あいつ、こんなものをどこで……!」
及び腰になった彼の背がぶつかり、棚から白磁のカップが落ちて粉々になる。大丈夫かと尋ねる前に、そのひどい取り乱し方にジェイトは一歩引いてしまう。
「なぁによ、いきなり。失礼なおっさんだわー」
「で、出て行け! 今すぐわしの目の前から消えろ、この忌まわしい悪魔め!」
「はぁ、うるさいわね、出ていくわよ。まったく、話もできやしない」
泡を飛ばしながらまくし立てる館長に一瞬だけ白い目を向け、リュシアンは傍らでおろおろするティセリーを連れて部屋を後にする。彼女が移動するのに合わせ、対角線を保つように館長は這いずっていく。腰が抜けているようだった。
「おい、あれ……」
「いいわよ、慣れてる。自分と違う存在が怖いのね」
そんなものだろうか。
颯爽とした彼女の背を追うジェイトの耳には、倉庫を出るまで館長の罵倒が聞こえていた。