第3話

 

「もう、お兄ちゃんってば。お弁当忘れるの何回目なの?」

頬を膨らませるユナに、兄のディールは困ったような笑顔で頭の後ろを掻いた。

「悪いね、ユナ。シェリーも、自分で届ければいいのに」
「……もしかして、それを口実にお義姉ちゃんに会いたいだけ?」

独り言のような呟きを聞き逃すユナではなかった。兄はこう見えて市営軍の猛者達を震え上がらせる説教の鬼としての一面も持っているのだが、一般には温和で愛妻家のディール先生として患者からも慕われる医師である。

多くの人に祝福されて結ばれた兄夫婦を、羨ましく思うようになったのはいつからだったろう。それはつまり、ジェイトに対する自分の思いが大きくなってきた頃ということだが。

「……ジェダイトは元気そうかい?」
「ふぇっ!」

頭の中を見透かされたような問いかけに、思わず変な声を漏らすユナ。早速お弁当のサンドイッチを口に運びながら、ディールは難しい顔をしてみせる。

「足を怪我したんだろう、市長から聞いているよ。ここに顔を出さないってことは、ウィラに治してもらうんだろうが……。確かにお説教ばかりだが、そんなに僕は嫌われているかな」
「そんなことはないと思うけど……」

苦手としていることは確かだ。ジェイトは、自分に厚意をもって接してくる相手への対応を持て余しがちなところがある。それはネリドの若者達に対してもそうで、ついには彼らから社交性の無い奴というレッテルが貼られるまでになってしまった。そして困ったことに、ジェイト自身はそれを否定する気もないらしい。
ユナの女友達の多くも、ジェイトの話になると顔をひそめる者がほとんどだ。根暗だのマゾだのと、散々な噂が一人歩きしている現状は、彼に思いを寄せるユナにとっては大きな悩みだった。
彼がそんなでなければ、友達や兄弟にも、この気持ちを打ち明けて相談に乗って欲しいのに。

自然と口からため息が漏れる。「幸せが逃げるよ」という兄の言葉も、この気苦労に対しては効き目がなかった。

「ディール先生」

ドアがノックされ、ユナも顔見知りの看護師が顔を覗かせる。

「なんだい」
「あの、さっき運ばれた患者さんの、ご家族の方がお見えなんですが……」
「……、どうかしたかな?」
「ええ、……その」

妙に歯切れの悪い彼女の様子に、ユナの頭にも疑問符が浮かぶ。お弁当を片付けたディールが立ち上がって来訪者を迎えるよりも早く、看護師の後ろから本人達が姿を現した。

「すみません、姉がご迷惑をおかけしたようで」

と、丁寧な口調で挨拶を述べたのは、一人の少年だった。濃紺のさらりとした髪にきっちりとベレー帽をかぶり、上品な仕立てのシャツや半ズボンに身を包んだ姿は、まだ幼いながら洗練された紳士のようである。
しかし、深いブルーの瞳には姉を心配するような色はまるでなく、人を嘲笑うような酷薄さが浮かんでいた。
ユナの背筋を、冷たいものが伝う。

その後ろには、いかにも素行の悪そうな目つきの鋭い男が二人控えており、妙な取り合わせの三人組だった。

背後の病室を伺い、ディールは訝しげな声で少年に問いかける。

「……君のお姉さん?」
「ええ、似てないと言われますが。あとはこちらで診ますので、引き取らせていただいても?」
「今動かすのはお勧めしませんね。まだ目も覚まさない状態なので」
「家族が引き取ると言っているのだから、あなたに止める権利はありませんよ」

ぱちん、と少年が指を鳴らす。男達が、進行を阻もうとしたディールを力ずくで押しのけた。よろけた彼は、そのまま壁にぶつかって転倒する。

「お兄ちゃん!」

慌てて兄に駆け寄ろうとしたユナの前に、見下ろすほどに小柄な少年が冷たい笑顔を浮かべて立ちはだかった。

「あなたにも、おとなしくしていてもらいましょうか」

その唇が、聞き取れないほどの速さで呪文を紡ぐ。身構えたこちらの胸をとん、と細い指が突くと、たちまちのうちに眠気に襲われ、そのままユナは気を失った。