第4話

 

施療院は街の中心からやや南に位置しており、周囲には図書館や聖堂など、公共施設が軒を連ねている。大理石でできた聖母の彫像を横目に、ジェイトとウィラは煉瓦造りの通りを駆け抜けた。キャラバンも店を出していないこの辺りは、広場周辺の混雑が嘘のように静かだった。

施療院の白い建物に飛び込むと、慌てた顔の院長がウィラの顔を見て、一つのドアを指差した。

「ジェイト、作戦は?」
「ねぇよ!」

息をつく間も無く、示されたドアを押し開けたジェイトは、そのままの勢いで目前に立っていた痩せた男の背を踏み倒す。ちょうどいい位置にあった丸椅子に頭を打ったらしく、男は悲鳴も上げずに昏倒してしまったようだった。

「ジェダイト、ウィラ!」
「な、なんだ、てめぇら!」

狼狽した声が診察室に響く。気絶させた男からゆっくりと目を上げ、松葉杖を肩に担ぎ直すジェイト。部屋の中には、いかにもゴロツキ風の男と、眉を吊り上げた小柄な少年、壁際に倒れこんだディールの姿がある。
そして、ディールの腕の中には、ぐったりとしたユナが抱かれていた。
すうっ、と胃のあたりが冷たくなった気がした。

「……軍を呼んだ。おとなしくした方が身のためだぜ」
「おや、この街の市営軍が出払っているのは調査済みですよ。そちらこそおとなしく、僕の仕事の邪魔をしないでくれませんか」
「仕事……?」

微笑みを浮かべた少年の言葉から、この襲撃が強盗の類ではないことが知れる。眉根を寄せるジェイトの目が、ゴロツキが手を掛けた病室のドアノブで止まった。目的はあちらか。

「……ウィラ!」
「オッケー、任せて」
「邪魔をするなと言っているのに!」

墨色の紋様を描き始めたウィラめがけて、少年が放ったナイフが飛ぶ。咄嗟にその間に入り込んだジェイトが、松葉杖の柄でナイフを弾き飛ばす。
続けて、突っ込んできた少年が振るう右手のナイフが、がつっと音を立てて松葉杖に突き立った。

「……っ、早く、あなたは彼女を!」
「遅いよ!」

ウィラの彩式が完成し、慌てたように病室へ駆け込む男の背を襲った。黒い煙がその体を包んだかと思うと、うめき声とともに大柄な男が床に沈む。外傷はなく、どうやら精神に影響を及ぼすタイプの黒彩式のようだった。
味方を失った少年の顔が苦渋に歪む。

「観念しろ、あとはお前だけだ」

ジェイトに睨みつけられた少年は、握り込んでいたナイフをあっさり手放すと、投降するかと思いきや、くるりと身を翻した。捉え損なって空を切るジェイトの左手を尻目に、診療所の窓枠に足をかける。

「僕は五竜騎士団、青のリッツェ。僕の邪魔をしたこと、覚えていなさい。絶対後悔させてやりますから!」

そのまま彼は、窓から路上へ飛び降りた。駆け寄ったジェイトが外を確認した時には、その姿は影も形も見えなくなっていた。
隣へ並んだウィラも、窓の外を見渡して息をつく。

「見事な逃げっぷりだね」
「そうだな」
「ジェイト、こっちはいいから、ユナちゃんを」

気遣わしげな彼に頷き返し、ジェイトは壁際に座り込んだままのディールのもとに向かった。彼はてきぱきと妹を床に寝かせ、手首をとって脈を確かめていた。

「ユナは……」
「ああ、大丈夫。眠っているだけだ。リッツェといったか、あの少年がそういう彩式を使ったんだろう。心配しなくともそのうち起きるよ」
「そうか」

ジェイトの口から、安堵の息が漏れる。彼女に何かあったらと気が気ではなかったが、見れば外傷らしい外傷も無く、ユナは安らかな寝息を立てているだけだった。

「ありがとう、いつも妹を気にかけてくれて」
「……おれは別に」

微笑みかけてくるディールから、なんだか照れくさくなったジェイトは視線を外す。と、こちらも微笑ましそうな顔をしているウィラが無性に気に障った。
ジェイトが文句を言おうと口を開きかけた時。

「う、動くな!」

上ずった声が診察室中に響いた。
振り返れば、ジェイトが最初に気絶させた痩せぎすの男が、病室のドアを背中に立ちはだかっていた。
その腕の中には、混乱した顔の少女が一人抱きすくめられている。それは桃色の髪の印象的な、ジェイトが先ほど人混みで助けた相手だった。しかし、なぜこんなところに。

「患者から手を離しなさい」

ディールの厳しい声が飛ぶ。しかし、その言葉はさらに男の気を逆立てただけだった。

「うるせえ! おとなしくしねぇと、こいつの喉掻っ切るぞ!」

ポケットから取り出した小ぶりのナイフを、少女の細い首筋にあてがう男。少女の瞳が恐怖に歪む。

その瞬間、室内の空気が変わった。
びくん、と少女の体が痙攣し、長い髪が宙に浮く。
男の周囲に、ばちばちと音を立てて光を放つ雷球が浮かび上がる。
突然の変事に、ジェイトは思わず隣のウィラに目をやるが、彼はジェイト以上に呆然としていた。

「ウィラ?」
「俺じゃない。これは……!」

浮かんだ雷球は糸で引かれるように、四方八方から痩せぎすの男に襲いかかった。悲鳴と、肉の焦げる匂い。

「聖母の申し子……!?」

驚愕したウィラの声が耳に届いた。
身体中にやけどを作った男が倒れる。と、同時に少女もふらりとその場に崩れ落ちた。
ディールが駆け寄って、二人の容体を確かめる。どちらも、命に別状はないようだった。

「なんだったんだ、今の。……おい、ウィラ」

返答はない。再度呼びかけて、やっと彼はこちらの声に気がついた。

「ああ、ごめん。何?」
「何、じゃねぇよ。今の、なんだったんだ。彩式だろ?」
「えーと、ごめん。よくわかんないや」
「は? だって、なんか知ってるんだろ? 聖母のなんとかって」

追求すると、ウィラは困ったような笑顔を浮かべた。

「まあ、知ってるけど、知ってるだけだよ。聖母の申し子。ちょっと珍しいかな」
「本当にそれだけか?」
「疑り深いなぁ、ジェイトは。本当だって」

憮然とするこちらに、へらへらと軽い笑みのウィラ。胡散臭いが、こうなっては彼から真偽を聞き出すのは難しい。ジェイトはため息ひとつで諦めて、ディールの手伝いに向かった。
ウィラの呟きが背中に届く。

「……うん、本当に、それだけだ」