第15話

 

てっきりオフィスへ強制連行されるのかと思っていたが、筑波がエンジンを止めたのは、ビルの合間に作られた小さな公園だった。とは言っても、花壇と噴水の他にはベンチしか無く、行き交う買い物客もこの寒空の下で休憩していこうとは思わないらしい。

二者択一で選んだブラックコーヒーは想像を絶する苦さだったが、今更換えて欲しいと言うのも癪で、無理矢理喉に流し込む秀実である。
他方、隣に腰を下ろした筑波は、手にしたココアの缶がなんとも微妙な違和感を醸し出していた。

「……、あの」

まさか、飲み物を奢るためだけに連れ出した訳ではないだろう。秀実が恐る恐る口を開くと、彼はこちらを一瞥し、

「和馬はまだ病院だそうだ」
「え……」
「が、お前に昏倒されたせいじゃない。タバコの吸い過ぎで肺を相当やられているのが発覚して、ニコチン離れができるまでは病室から出せないと担当医が判断したらしい」
「……へぇ」

呆れた、という感情がどうやら顔にも出たようで、筑波はほんの少し唇の端をつり上げてみせた。

「骨折の治療も兼ねて、つかさが足繁く通っている。もっとも、見舞いに行っているのか、からかいに行っているのか分からないのだがな」
「ユキさんは……?」

脳裏をよぎる、鋭いナイフの光。

「苦笑していた。休みは久しぶりだ、と。さすがに雪彦さん一人では巡視もままならん。俺もなるべく手伝いには行っているが、書類仕事はさっぱりだ」
「……、……そんだけ?」
「ああ、それだけだ」
「怒ってねぇの?」
「怒られるような覚えがあるのか。お前は、お前が来たい時に来ているのだと知らされていたが」

あっさりした言葉に、安堵するよりも肩すかしを食らった気分だった。筑波は無断欠勤についてかと勘違いしたようだが、秀実が危惧していたのはそこではない。

そういえば、と続ける彼。

「和馬が感心していたぞ」
「は?」
「あいつは、死神に恋人を殺されている。知っているな」

すぐ横を通り過ぎる高校生の一団に、秀実のほうが慌てた。こんな場所で話すには非日常的すぎる話題である。
だが、やはり筑波は動じることも無く、大きな手の中で缶を転がしていた。

「まさか、一度痛い目に遭わせたお前から反撃されるとは思わなかったらしい。相手の差が大きいこともあるが、同じ状況で、十年前の和馬は逃げることしか考えられなかったそうだから。あいつが執拗に死神にこだわるのも、そのためかと俺は見ている」
「……そんなこと、言われても」

あの時は必死で、何を考えていたかなどもう覚えていない。ただ、殴った感触だけはいつまでも残っているような気がした。携帯を換えた理由も、半分以上はそこにある。
また、そんな賞賛を聞かされたところで、和馬や雪彦に対するわだかまりが消えるわけでもない。凪いだ水面のように静かな筑波の両目から、居たたまれなくなった秀実は顔をそらした。

「……っていうか! だいたい筑波、何の用なんだよ。そんな話するためだけにオレを探してたんじゃないだろ?」
「……話をするためだけだが」
「なんでわざわざ……」
「そもそも、探していた訳ではないんだがな。話しておきたいことがあったのは事実だが、あそこで拾えたのは偶然だ。だが結果的に良かったと思っている」

含みのある発言に、振り向く秀実。

「……どういう意味だよ」
「雪彦さんのことだが」

問いかけには答えず、筑波は唐突に本題を切り出した。

「雪彦さんのあの仮面と、時の狩人と呼ばれた夢魔について、どう聞いている?」

脈絡無く上がった名前は、いつか聞いた覚えのあるものだった。確かその夢魔こそが、雪彦に不老の呪いをかけた相手ではなかったか。
そう告げると、どこか寂しげな瞳で筑波は長い息を吐く。

「そうか、やはり黙っていたんだな……」
「な、なんだよ。すごく手強い奴で、でもカッコつけて一人で行ったからああなったって、ユキさん言ってたもん……」

秀実が聞いた情報はそれだけだ。自然と弁解するような口調になるも、淡々と語る彼の様子に変化は無かった。

「時の狩人というのは通称で、奴自らは『ジャック』と名乗ったそうだ。そして、その名を奴に与えたのは、幼少期の雪彦さんだ」
「……、は?」

それは、どういう展開なのか。秀実の思考が追いつかないことを知ってか知らずか、筑波はさらに詳細な説明を始めた。

「雪彦さんの生家は、近くに教会があったそうだ。神父が外国人で、付近でしばしば見かける金髪の少年のことは、その息子だと思っていたらしい。名を教えてくれなかったから、勝手にジャックと呼んでいた。……と、俺に話してくれたのは班長だが」

しかし、雪彦が学校へ上がるようになると、ジャックは現れなくなった。そんな少年の存在に周囲の者は、親だと思われていた神父でさえ気付いていなかったと後に判明し、それは幼少期の子どもに見られがちな『空想上の友達』だったのだと、成長した彼自身も結論づけたのだいう。

月日は流れ、雪彦は夢喰コーポレーションなる一風変わった企業に入社した。その頃にはすでに、ジャックのことなど忘れていたそうだ。

「当時もっとも脅威とされていたのが時の狩人だった。本来ならいかに優秀でも、そんな新人が相手取るような対象ではない。が、雪彦さんと班長の所属していた班は、たまたま一度、奴と遭遇したのだという」
「父さんも?」
「ああ。……そして、自分に武器を向ける一団の中に雪彦さんを見つけ、時の狩人はこう言った」

ユキ君じゃないか、久しぶり!
僕だよ僕、ジャックだよ。
子供の頃よく一緒に遊んだじゃないか。

作り物ように綺麗だった少年は、作り物のように綺麗な青年へ成長していた。澄んだ青い目には溢れんばかりの喜びを浮かべ、真っ白な両手には鮮血にまみれた厚いナイフを持って。
彼の足下では、お腹の大きな女性が仰向けで事切れていた。

「待ってよ! 夢魔は無駄に人なんか殺さないって、イリスが言ってたぞ!」
「だから、無駄ではないんだ。確かに、我々が普段相手にするような夢魔に凶暴性は少ない。だが一部には、生きるために人間を殺す者もいて、そうした我々にとって危険な奴らを調査するのが俺の役目だ」

声を荒げる秀実を片手で制し、筑波はしばらく遠くを見るような目で思案した後、「例えば」と再び口を開いた。

「夢魔は人の夢より生まれ、人の夢を糧とする。しかしそれぞれに嗜好が有り、例えば『金が欲しい』という夢を好む者は、強くそう望む人間を標的にする。そして『金が欲しい』という夢を喰われた人間は、金に対する執着を無くしてしまう」

だが、それだけなら殺す必要は無い。

「……例えば『生きたい』という夢を好む夢魔がいる。が、これは夢というより、もっと根源的な本能だ。こればかりは、生きたまま手放すことはできんだろう。錆色の死神はそうした者の一人だ。時の狩人はさらに限定して、『これからも生きていきたい』という時間的継続性のある夢を好んでいたようだ」
「…………」

激しい戦闘の後だったことからその場は回避が優先され、結果として班は損害を出すことなく事務所に帰り着いた。ところが、思わぬ相手との再会に雪彦は取り乱し、翌日一人でジャックを探しに出るという、無謀な行為に走ったのである。
秀実の父がその不在に気付き、まだ高性能とは言えなかったレーダーを頼りに班員総出で見つけた時、廃材置き場の真ん中に倒れていた雪彦の右目は、すでにあの白い仮面で覆われていた。
何があったのか、目覚めた彼が詳しく語ることはなかった。しかし、その日以降時の狩人は姿を消し、また仮面を張り付けた雪彦の容姿も、年相応に変化するのを忘れてしまったようだった。

「…………」

長い話を終え、自分のグローブの中に視線を落とす筑波。封を切らなかったココアも、秀実のブラックコーヒー同様すっかり冷めてしまったに違いない。辺りはすでに青黒い闇に包まれていた。

「……それで」

秀実の口から、勝手に言葉が漏れる。

「それで、オレにどうしろって言うんだよ……。ユキさんのことはわかったけど、わかったからってイリスは戻ってこないし、オレ、どうしたらいいかわかんねぇよ!」
「それで構わん。俺が、知っておいて欲しかっただけだから。雪彦さんは絶対にこんな話はしないだろう。あの人を、ただの悪人だと思わないで欲しかった」
「……、そんな、勝手な……」
「ああ、これは俺の勝手だ。混乱させてすまない」

淡々とした謝罪の言葉を最後に、筑波はココアの缶をベンチに残して腰を上げる。黒尽くめのその長身は隣に居ないだけで、周囲の闇とまるで区別が出来なくなってしまった。