第17話

 

ところで、バイトの件は母に嘘をついていた秀実だが、どうやら夏休み過ぎにはすでにバレていたらしい。というか、雪彦の手回しで暴露されていたようだ。

「そりゃあね……、半年であそこまでがくっと成績落ちれば、何かあったと思うわよ。あなたは、知り合いに勉強教えてもらってる、なんて、あからさまな嘘つくばかりだし。そんな時に、笹上さんから電話があってね」

秀実くんには現在、うちの事務所のお手伝いをしてもらっています。
彼は、学校の成績は優秀なようですが、受験を控えたこの時期だからこそ、今は他の可能性を模索したいのではないでしょうか。

「……って言われてねぇ……、お母さんも勉強勉強って言い過ぎたかしら、って少し反省して、お任せしてみることにしたのよ。意外と若い人でびっくりしたけど」
「会ったのっ?」
「会うわよ、当たり前じゃないの。あんな若い弁護士さんって本当に居るのねぇ……」

それが父の葬儀で大暴れした連中の片割れだとは、母は思いもしないに違いない。まあそもそも、その時の記憶を消されているので当然である。

ちなみに、雪彦は実際に法学部を出たそうだから、信憑性とともに社会的信用の見込める嘘として、そう名乗ったのだろう。まるで何でもないことのように語る母だが、秀実の教育方針について担任を言い負かすような人だから、「少し反省する」までの根掘り葉掘り微に入り細を穿ったやり取りが、ここでは相当割愛されているに違いない。雪彦にはお疲れさま、と言うべきか。
ともあれ、その点に関して壮絶な親子喧嘩が繰り広げられることはなかった。

意を決してその話を切り出したのはもう春休みの中頃で、まだ暖かいとは言えないが、日差しや空気がふんわりと柔らかい。秀実のクローゼットにはもう、学ランの代わりに真新しい緑色のブレザーがかかっている。

結局、一応受けてみた偏差値の高い学校は見事に軒並み玉砕し、滑り止めのつもりだった私立高校にかろうじて引っかかる、というギリギリラインで秀実の受験期間は幕を閉じたのだった。
そんな結果を芳川に携帯から伝えると、「この野郎! 俺の第一志望にかろうじてだと? 歯ぁ喰いしばれ!」という反応があった。……メッセージだが。

一方、雪彦にも同様の報告をしたのだが、こちらからの返信はない。彼の実年齢を考えると、ひょっとしてメッセージ機能が使えないのか、という疑惑もあったが、それは数日後に届いた小荷物で解決した。

「……、筑波、最近パシリにされてない?」
「雪彦さんの役に立てるなら、俺はそれで一向に構わないが」

すっかり使い走りと化している黒尽くめのエリートから、ため息まじりに荷物を受け取る秀実。勝手に人の過去をバラした報いということで、眺めのいい高層マンションからは、国道で渋滞に巻き込まれている黒バイクが頻繁に目撃されていた。

「やめるのだと聞いたが」

彼の淡々とした声にも、秀実は包みを開ける手を止めずに答える。もう決めたことだ。

「やめるっつっても、遊びには行くけどね。高校でまたサッカー始めるから、さすがに毎日は顔出せそうにねぇし。あと、ちゃんとバイトらしいバイトもやっとこうかなー、ってさ」
「らしくなかったか」
「ねぇよ。さすがにねぇよ」

首をひねる長身を苦笑気味に見上げつつ、ようやく手強いガムテープを剥がし終わった。雪彦からの合格祝いだということだ。飾り気の無い白い紙箱の蓋を開け、そして秀実は固まる。
金属質の光沢。滑らかな表面の一点に、花と流水を模した細かな彫金が施されている。恐る恐る手に取ったそれは、季節外れに冷たくてずしりと重い。

「銘は『花菖蒲』だそうだ。もちろん弾は無いが。まあ、文鎮にでもすればいい、と」
「書道でしか使わねぇじゃん! じゃなくて、ホントに貰っていいの、これ?」

突っ込みにも表情を変えず、頷く筑波。

「雪彦さんがいいと言ったならいいんだろう」
「……前から言おうと思ってたんだけど、筑波ってユキさん大ッ好きだよな」
「当たり前だ」

当たり前らしい。

相変わらずの黒コートを翻して去って行く彼を見送り、秀実は握ったままの花菖蒲に目を落とす。小振りだが、手のひらには納まりきらない。
花菖蒲。英語名はアイリス。

「…………」

いろいろと思うところはあるのだが、それらを全部思考から追い出す。どういう意味だとかなんとか、そうした話は送り主に会って直接聞けばいいことだ。
冷たい拳銃をベルトに挟み込むと、秀実は玄関を閉めて部屋へ戻った。