第3話

 

何と言っているのかさっぱり分からない読経の声が響く中、秀実はぼんやりと部屋の中を眺めていた。

葬式、というものに出た経験はほとんどなく、だから今回が規模として大きいのか小さいのかも判別できない。
妙に現実感が無いのは、ひょっとしたらそのせいだろうか。

ざっと見渡せば、すぐに目につくのは先ほどの奇妙な二人組。
顔面ガーゼの若者は片方しかない目を神妙な面持ちで閉じ、不良青年のほうはどこか退屈そうに視線を横へ逸らしている。

そして、弔問客の反対側に目を向ければ、相変わらずヤクザな遺影。
恐らく、真面目な顔の写真は無かったのだろう。
父は、カメラを向ければ息子を押しのけてでも写ろうとするような人だったから。

ああ、そういえば。
秀実は、遺体そのものを見ていないのだった。
事故のせいで損傷が激しく、母が許してはくれなかったし、その制止を振り切ってまで現実と直面したくもなかった。

そういう訳で、秀実の中では、父は未だにあの笑顔のまま残っている。
正直、これが盛大なドッキリ企画で、本人がどこかその辺に隠れていたって、驚くことは無いんじゃないか。
押入れ開けたらヤクザ。
怖すぎる……。

「……秀実……? 顔引きつってるわよ?」
「……、……大丈夫、何でもない」
「そう……? 泣きたかったら泣いてもいいのよ、まだ子供なんだから」
「……、泣かねぇよ」

ていうか、こういう時だけ子ども扱いするな。
反論は心に浮かんだものの、結局浮かんだだけで、それを口にするほどの覇気は今の秀実にはない。
それでも、ともすれば悪循環に陥りそうな思考回路から気を逸らすのには役立つ。
泣いたら、何かに負ける気がして。
だから、余裕を保つためなら悪趣味なブラックジョークだって何だって使う。
落ち着くために大きく深呼吸をしたら、線香の煙が変な所に入ってむせ返りそうになった。
違う理由で涙目になる秀実だった。

気が咎めたのと勘違いされたくないのとで、そっぽを向いて小さく咳をしていると、不意に周囲の空気が変わったことに気付く。

ざわめき。
ささやき声。

「……おい」

姿勢を戻した秀実が見たのは、困惑する弔問客たちと、読経を続ける僧侶。
そして、そのすぐ後ろに立った、例の不良青年の横顔だった。

「……おい、坊さん。いい加減、しらばっくれるのは止めにしな。俺らも、こんな所で暴れんのは胸糞悪くて嫌なんだぜ」
「それはカズ君が周りに被害出しすぎるからでしょうに……」

困った顔でやんわり突っ込みを入れる眼帯ガーゼ。
彼のほうは客の真ん中に直立し、あろうことかノートパソコンを開けてなにやら打ち込んでいる。

「……な、何なんですか、あなたたち! 今は葬儀の最中です!」

母が立ち上がり、奇妙な二人に向けて怒鳴った。
それを下から見上げて秀実は思う。
その怒りは、誰のためのものなのか、と。

「……あ、ああ、シンさんの奥さんですよね。すみません、お騒がせしてしまって。大丈夫ですから、落ち着いていて下さいね」

そう言ってにっこり笑ってみせる片目の若者に、さらに母が詰め寄ろうとするが、

「……く、くくく……」

しわがれた、低い声がした。
ここに至ってようやく読経を止めた僧侶が、小さく肩を揺らしていたのだった。

「お、なんだ、坊さん。降参する……、って感じじゃねぇよな」
「挑発しないの、カズ君」
「……くく、儂がここで簡単に諦めると思うたか」

肩越しにのぞく皺に埋もれた目が、きゅう、と弧を描く。

「童らなぞにはわかるまい。年経た者がいかほど己に執着するか……。それは、我らもぬしらも同じことよ」
「はっ、つまり悟れてねぇダメ坊主ってこったな。上等だ」

ひどく獰猛な笑みを浮かべる銀髪の青年。
野生の獣が笑うなら、こんな感じなのだろう。

「受けて立つぜ……。ユキさん、俺のシリウス」
「ないよ」

あまりにあっさり即答され、マンガのようにつんのめって転びかける間抜けな彼だった。

「ねぇの!? 俺今めっちゃ恥ずかしいじゃんかよ!」
「あんな重いもの、こんなところまで持ってくるわけないでしょ。……っていうか、自分で忘れてきておいて、なんで僕のせいにするの……」

もっともなことを言って、はあ、とため息をつく眼帯ガーゼ。パソコンを閉じ、懐に手を入れる。
出てきたのは、大ぶりなスタンガンだった。

「まあ、こっち終わったら援護するから。それまではほら、若者らしく根性とスタミナでどうにかして」
「なんて無茶を……」

不良青年の肩を励ますようにぽんと叩いてから、彼はざわつきつつも事態をただ見ていた弔問客や親戚たちに向き直る。
そして突然、手近にいた喪服の女性の手を取り引き寄せると、その首にスタンガンを押し付けて気絶させた。
くたり、と彼女はその場に崩れ落ちる。

「きっ、君……! いったい何を」

と、声を上げた男性が二番目の犠牲者になった。

徐々に混乱が伝染し、パニックに陥った人々が逃げようとするが、唯一あるふすまはなぜか開かないらしく、かたまりとなってその場に詰まる。
片目の若者はそんな彼らを片っぱしから、時には抵抗されるも足払いをかけたり関節技をきめたりして、次々と気絶させていく。

隣でぱたりと母が倒れ、秀実の頭上に影が落ちた。

「……ごめんね、一瞬だから」
「それって」

座ったまま、彼を見もせずに問いかける秀美。

「今じゃなきゃダメ?」
「……、……どうして?」
「ん……、どうせ口封じとかすんなら、アレ、最後まで見てたいなって、思って」

指さした先では、不良青年が彼自身よりも大きな茶色の猛禽と格闘している。

先ほど、根性やらスタミナやらでどうにかしろと言われた彼が舌打ちしながら僧侶に殴りかかったとき、不意に袈裟が落ちて中から飛び出したのがあの巨鳥だった。
信じがたいが、あれが僧侶の正体、ということらしい。
今は、宙を飛びまわる猛禽がときおり急降下し、不良青年がその鋭い爪やくちばしの攻撃を避ける一方となっている。

秀実は、その光景にくぎ付けになっていた。
爪が引っ掛かった銀髪の右手から、ぱっと飛び散る真っ赤な鮮血。
それでも、彼の顔からあの獰猛な笑顔が消えることは無かった。
楽しんでいる、のか……?

「……、君は、秀実くん、だよね? シンさんの息子さんの」
「……あんたは? 会社の人だろ?」

片目の若者がゆっくりと、秀実の隣に腰を下ろす。

「僕は、笹上雪彦です。今あそこで暴れてるのが、関和馬くん。どっちも、……そうだね、立場的には部下かな、シンさんの」

そういえば、和馬というらしいあの銀髪は、父のことを班長と呼んでいた。
敬意の欠けらもない口調ではあったが。

「うん、まあ、僕はシンさんとはずっと一緒だったから、あんまり上下関係を意識してはいないんだけどね。……信じられないだろうけど、僕らの仕事は、今見てる、アレです」

雪彦と名乗った若者が、うっすらと微笑んだ。
視線の先には、依然として勝負のつかない和馬と猛禽。

「さっき、お坊さんが鳥になるのを見たでしょう?あれは、鳥がお坊さんに化けていたわけじゃなくて、ああいう生き物なんだ。人の夢……、願望とか、欲望とか、そういうものから生まれる形のない生き物。……僕らはあれを、夢魔って呼んでいる」
「……夢魔」
「そう。ネーミングが安直だよね。……で、僕らの仕事は、夢魔を退治、捕獲すること。会社は……、正式名称は僕も知らない。僕らはただ、自分たちのことをこう呼んでいる」

大きな翼が天井にかすり、バランスを崩した猛禽に和馬の回し蹴りが叩きこまれる。
吹き飛び、壁に激突した巨体の腹部に、ぱんぱんと軽い音をたてて二つの穴があいた。
いつの間にか、雪彦の手には拳銃が握られている。
細い煙。

「……夢喰コーポレーション、ってね」