第6話

 

寝ぼけてなんかいない。

正式名称不明、通称夢喰コーポレーションなる組織は、とりあえず存在する。オフィスが入っている古ビルの二階には、弁護士事務所(現在出張中)というフェイクのチラシが張ってあるが、それでもこのドアを開けば、見知った青年が出迎えてくれるのだ。

彼の名は、笹上雪彦。
顔面に張り付いた仮面と長いポニーテイルさえ気にしなければただの柔和な若者だが、なんだか複雑な事情で実年齢は五十代という、なんだか複雑な人である。

「やあ、秀実くん。勉強お疲れさま」

いつもと同じように、優しく笑ってくれる彼。
頼りなさそうな印象もあるが、一応ここの責任者であり、アルバイト扱いの秀実にとっては雇用主でもある。本人の雰囲気につられて、ついなれなれしい態度のまま接してしまうのだが。

「好きな時に来ていいとは言ったけど……、毎日来てて大丈夫? そろそろ、期末試験とかあるんじゃない?」
「へーきへーき。オレもう関係ねぇもん、成績。何か飲んでいい? 麦茶とかねぇの?」

心配してくれる雪彦の傍を通り抜け、簡易キッチンを覗き込む秀実。二か月も通えば、すっかり自分の家と同じである。

「麦茶か……、無いかなぁ。僕もカズ君も、ほとんどコーヒーしか飲まないし。買ってくる?」

雪彦の困り声に、低音が応じる。

「そんなもてなす必要ねぇって、ユキさん。クソガキには水道水で充分だ」

その言葉にむっとして、秀実がオフィス内に目を戻すと、安っぽいデスクに足を乗せた長身の青年がにやりと笑った。

関和馬。派手な銀髪を持った、一見不良。このオフィスに勤める社員であり、ということは秀実の先輩格にあたるのだが、実際の関係はこの通り。

ガキって言うな、といつものように切り返そうとした秀実だが、その時初めて、和馬の顔に張られた白いものに気づいた。左頬を覆う、ガーゼ。

「和馬、それ、どしたの?」
「ふられたんだって、彼女さんに。……秀実くん、ミネラルウォーターならあったけど、これでいい?」

答えたのはペットボトルを手にした雪彦で、そのとたんに和馬が渋面になる。そして、それを見逃す秀実ではない。

「え、マジで。ていうか彼女いたの? なんでふられたの? しかもそれ、ビンタされたってこと?」
「あー、あー! ガキくせぇな、てめぇは。こんくらいではしゃぐんじゃねぇよ」
「うっわ、ヤツ当たりしてる。大人げねぇー」
「うるせぇ、撃つぞてめぇ」

机の上にあった長銃を掴み、こちらに向けてくる和馬。やっぱり大人げない。

仮にも銃口を向けられて、秀実がこんなに平然としていられる理由は、彼が弾丸を持っていないことを知っているからだ。以前雪彦に聞いた知識である。

仕事内容が仕事内容なので銃器や刃物ならごろごろしているオフィスなのだが、やはり仕事内容が仕事内容なので、公的機関に届け出ることはできない。
化け物を退治するためです。
なんて言ったところで、ふざけるなと追い返されるのがせいぜいだろう。

というわけなので、どうしたって法に触れてしまうのはまあ仕方がない。見つからなければいっか、と開き直って、代わりに会社側が採用した独自の銃器乱用対策が、一般サイズの銃弾が合わない口径のものを支給するという方法だった。加えて、銃自体は所属する班の責任者、ここでいえば雪彦の許可さえあれば手にすることができるが、専用の弾をもらうためには、書類審査面接筆記試験実技試験訓練合宿などなどの、何とも面倒くさいオプションがつくのだという。

バイトをし始めたころは拳銃に憧れていた秀実があっさり引き下がったのも、このためである。
そしてそれは和馬も同じらしく、例の長銃「シリウス」が木製のストックやグリップを合金で補強してあるのは、彼がそれを鈍器として扱っているからに他ならない。

「いい加減に免許貰えばいいのに……。二年くらいで取れるよ、カズ君なら。君が神戸に行ってる間は、誰か補充を入れてもらえばいいしさ」
「は、冗談。そんなに現場離れてたまるかよ」

呆れ顔でやっと銃を下ろすと、大きく椅子の背に体重をかける和馬。そんな彼に、ふう、と物憂げなため息を返して、雪彦が呟く。

「……もう十年も経つでしょう。いつまでも引きずってることはキミ自身のためにもならないし、あの子だって喜ばないと……」
「……ユキさんにゃ関係ねぇだろ」

切り裂くような鋭い目で睨みつけてくる和馬に、雪彦は押し黙る。その様を見て、和馬のほうも舌打ちをひとつ残してそっぽを向いてしまった。

展開に取り残された秀実は、ふと思いつき、指折り数えてみる。十年ってことは、なんだ、ガキ扱いしてくるくせに、和馬がこの仕事始めたのだってオレと同じ歳なのか。

妙な空気が流れるオフィスの沈黙を破ったのは、雪彦の携帯がメールを受信した電子音だった。
意外な最新機種を意外に慣れた仕草で操作し、顔を上げた雪彦はきびきびした仕事用の声を出す。

「応援の要請。三班から。北区の公園通りで罠を張ってるらしい」

彼が携帯を取り出したころからすでに席を立ち、シリウスを入れたバッグを担いでいた和馬が、報告を聞いた途端、あからさまに硬直した。ぎしぎし音がしそうな動きで、首だけをこちらに向けてくる。

「……、……そんなに嫌……?」
「……いい、行く……」

頭痛をこらえるような表情で短く答えると、見ていて心配になるほど沈んだまま、一足先にオフィスから出ていく和馬。ノートパソコンを持ち運ぶための準備を手伝いつつ、秀実は雪彦に問いかける。

「……何あれ……」
「……ああ、居るんだよ、三班に」

苦笑気味に答える彼。

「カズ君にビンタ張った、元カノさんが」