第7話

 

「今更何の用でアタシの前に出てきたのか、お聞かせ願えるかしら、シリウス?」
「来たくて来たわけじゃないっての。呼んだのはそっちじゃねぇかよ」
「仕方がないでしょう? 一番近いんだから。もう、あなたは帰ってよ、雪彦さんだけいてくれれば充分だもの」

到着するなり和馬と口論を始めた女性が、犬猫に対するみたいに、しっしっ、と追い払う仕草をする。
その手には黒いレース模様。身にまとっているのもフリル満載の真っ黒なワンピースに、十センチはありそうな厚底のブーツ。おまけに日傘。つんと尖らせた唇だけが赤い。
昨日まで和馬の彼女だった人、……だとか。

「……何あれ……」
「ねぇ……、恋愛って不思議だよね……」

意外すぎて、唖然とするしかない秀実。詳しく考えていたわけではないが、もっとこう今風というか、普通にいそうな女性を想像していたのに。

とか思っていると、その彼女がこちらに気づき、例のブーツでつかつかと歩み寄ってきた。
雪彦が笑顔を浮かべて応対する。

「こんにちは、つかさ君。……秀実くんと会うのは初めてだよね。こちらは、三班で事務処理を担当してる、安藤つかさ君」

続いて、秀実のことも紹介してくれる雪彦。つかさというらしい彼女はそれを聞き、こっちに視線を落とす。

真っ白な顔。
長いまつげ。
人形のような顔でじっと見つめられ、秀実はつい、

「……化粧、厚……っ」
「…………っ!」

即刻、雪彦が秀実を抱えて逃げた。電柱の陰にしゃがみこみ、お説教を食らう。

「秀実くん、キミ、なんて事を……!」
「だって、すげぇ化粧臭いし……。若づくりしてんじゃねぇの?」
「そういうことは思ってても口には出さないの! 女の人のお化粧と年齢とウエスト周りには、いろいろ言っちゃ駄目!」
「いいわよ、雪彦さん。そんなことに興味はないわ、アタシ」

そんな二人を頭上から見下ろす、冷たい目のつかさ。

「……はじめまして、坊や。つかさでいいわ。気にしているわけではないけど、まだ二十二よ」

気にしてんじゃねぇかよ、と和馬が呟いた。
彼のほうを振り返って、何かを言いかけるつかさだったが、

「……来た……!」

と、表情を引き締め、視線を逸らさないまま、黒いポーチに手を入れる。
和馬も、ぱっと身をひるがえした。
秀実の位置からは、まだ何も見えないが。

「通りの向こうから、うちの班員たちが追ってきているの。糸杉事務長も一緒よ」

何か過剰にキラキラした四角いものを取り出したと思ったら、どうやら原形をとどめていない携帯電話だったらしい。つかさが液晶を覗き込んで、現状を説明する。

「厄介な相手みたいね……。上手く捕まってくれるといいんだけど」
「わかった。とりあえず、キミは安全な所で、罠をかけるのに専念して。僕も時間稼ぎにまわるよ。カズ君一人じゃ大変だろうから」

雪彦は手早く役割分担を決めると、通りの真ん中で微動だにしない和馬の後ろに控える。

……微動だにしない?
彼の様子に違和感を覚える秀実。仕事中は実質上役立たずであるとはいえ、これまで余所見ばかりしてきたわけではない。
何かがおかしい。彼らしくない、と言うべきか。
それどころか、ほんのわずかに、ごついワークブーツの足が後ずさった。
肉弾戦の合間に笑顔を浮かべるような男が?

「……おい和馬っ!」
「あ、ちょっと坊や!」

思わず、電柱の陰から飛び出す秀実。伸ばされたつかさの手をするりとかわす。

真っ直ぐ突き抜ける公園通り。
長身の向こうに見えるのは、地面に届くほどの腕とぼさぼさの髪を持つ、化け物。
夢魔、という。
こういう奴らを退治するのが、自分たちの仕事なのだ。

秀実の怒鳴り声に、呼ばれた和馬ではなく、これまた呆然としていたらしい雪彦が振り返った。

「なにぼーっとしてんだよ! そんなヤツ、ちょっと手ぇ長いだけで、いままでやっつけてきたのと同じだろ! おいってば!」

しかし和馬にはそれすら聞こえていないようで、夢魔がムチのように腕をしならせても、立ちつくしたまま。
びゅん、と風を切る音に、秀実は目を覆う。
ぱん、ぱん、と銃声ふたつ。

「なるほどね……。一番怖いものが見えるってことか。今回は秀実くんのお手柄かな」
「……え……」

恐る恐るまぶたを上げれば、すぐそこに、拳銃を手にした雪彦の後ろ姿がある。

「そういうことみたいだよ、カズ君。そいつは偽物。キミが探す相手は別にいる。……ミミちゃんを殺した、錆色の死神は」
「…………」

返答はない。

言うだけ言って、雪彦はその場を離れた。
秀実の視界に残るのは、黄色く光る透明なピラミッドと、その中で徐々に崩壊していく夢魔。

和馬の頬からはガーゼが剥がれ、一筋ついた傷跡から赤い滴がこぼれていく。

「……くそ……っ」

悪態をつく背中は、逆光のせいで黒く染まっていた。