第2話

 

結局、三者懇談は予想通りの長丁場になり、しかも、これといった結論が出ないまま次回へ持ち越しされることとなった。
とりあえずの方針としては、秀実が今の成績をキープすること。以上。

「秀実、鞄重いでしょ? お母さん、持ってあげようか?」

と、母が猫なで声を出すのは、秀実に自分の薦める高校を目指してほしいからに決まっている。

そんなとこ行ってどうすんだよ。
高校入ってもオレに勉強漬けの生活しろってか。

なので秀実は唇を尖らせ、母の言葉を無視すると、さっさと車の横につけて鍵が開くのを待った。

後ろの座席に鞄とコートを適当に放り込み、その隣に腰を下ろす。
母が不思議そうな顔をするが、これも無視。
やがて、本日も絶好調といわんばかりのエンジン音とともに、スタイリッシュな緑の外車が滑るように走り出す。
あっという間に暖房が効いて、秀実の息でガラスが白く曇った。

「……あら。やっぱり混んでるわねぇ」

しかし、母の言葉どおり、雪のせいか国道は渋滞気味で、国道に出たところで車は、ほとんど止まっているに等しいくらいまでスピードを落とす。

「夕飯どうしようか……。あ、久しぶりに、このまま外食でもしましょうか?」
「それ父さんハブじゃん」
「勝手に何か食べるでしょ」

秀実がつっけんどんに突っ込むと、極めてどうでもよさそうに母はそう述べ、ラジオのスイッチをオンにした。

信号が青になり、じりじりと車が進みだす。
スピーカーからはのったりした知らない歌が流れだし、暖房も、半袖でいいんじゃないかと思えるくらいのハイパワーを発揮している。環境の敵だ。

何を言われてもいまいち反応の薄い秀実に、母はバックミラー越しの視線を後部座席へ投げかけた。

「どうしたの、さっきから無口じゃない。……あ、懇談会のことなら、気にしなくていいのよ。なんだかんだ言ってもまだ二年生だし、一年あれば、秀実ならどこだって目指せるんだから」

気にしなくていいなら口にするな。

うんざりした顔を見せれば、また文句をつけられるに決まっているので、黙って白い窓ガラスに額を押し付ける秀実。
しかし、ひんやりした冷たさはすぐに失せ、ぬるくなった水滴は、ただ不快なだけだった。

「秀実、さっきは何も言わなかったけど、あなたは第一志望どこなの? 旭日北?」
「……、……考えてない」

違う。正確には、考えたくないのだ。

「あら、そうなの。ダメじゃない、ちゃんと決めなきゃ。目標をしっかり定めておかないと、やる気もでないでしょ」

やる気だって?
そんなもの。

「目標があろうが無かろうが、やりたくねぇ事にやる気なんか出ねぇよ……」
「今はみんな、そういう時期なのよ」

ぼやくような独り言を耳ざとく聞きつけたらしく、母の口調に説教じみた雰囲気が混ざった。

「やりたくない事でも、今きちんと頑張ってやった子が」
「将来良い大学に行けて良い会社に入れるのよ、だろ。何年前の話だよ」
「なんて言い方するの。お母さん、秀実のためを思って……」
「なら放っとけよ! 中学生に大学の話とかするんじゃねぇよ!」

押しつけがましい母の言葉に、短気な秀実は思わず怒鳴り声を上げる。
母は一瞬目を丸くし、その後即座に眉を吊り上げかけたが、やがて諦めたようにくちびるを引き結んで、視線を正面へと戻した。

再び、車が詰まる。
聞こえてくるのはエンジン音と、理解できない外国語のクラシックだけ。

「…………」

むずがゆいような居心地の悪さに耐えかね、秀実はたまらず、突然車のドアを開け放った。

「……オレ、歩いて帰るから!」
「え、ちょっと、秀実!」

そう言い捨て、驚く母を尻目に、雪の降りしきる外へと飛びだす秀実。

視線を気にして、車がすし詰めになった国道から離れ、わざわざ一本脇に入った道を行く。

「……って寒ッ!」

コート忘れた。
馬鹿だ、自分。

だけど、あのまま車の中にいるよりは、寒くても外のほうがまだましだった。

進路や将来なんかより、今はもっと大事なことがある。例えば、春のサッカー部の地区予選とか。
親も教師もみんな揃って、そんなことをしている場合じゃないとかうるさいけれど、中学最後の大会は、人生に一回しかないのだ。
受験なんて、そっちが終わってから考えればいい。
だから、とっとと帰って部屋に直行して、先週買ったスポーツ雑誌をもう一度読み返そう。

そして気づいた。

「……、……鍵、鞄の中じゃん……」

ようやく奮い立った気力が一気にしぼむのがわかり、秀実は傍から見ても分かるくらい肩を落とした。どうしようもなかった。

「……、……はぁー…」

ため息ついでに、真っ赤になった両手を温める。

母が家に辿りつくまで、あの調子じゃ三十分ぐらいは余裕でかかりそうだ。
ならば、まっすぐ帰ったところで、玄関先で待つ羽目になるのは目に見えている。
この先を少し行けばコンビニがあったはずだから、そこでしばらく時間をつぶそう、と秀実は決めた。
帰宅途中の買い食いは校則で禁止されているが、この状況でそれを言う奴は、教師どころか人間として失格だ。うん、オレは悪くない。

「おっし、そうと決まればダッシュ!」

駆け出す秀実。空元気。

細い横道に人通りはなく、ぽつぽつと灯る街灯の明かりだけが、積もった雪をオレンジ色に照らしている。
切れるような冷たい水がスニーカーに染み込んでくるが、すぐにそれも感じなくなった。

走ること、数分。

「……はぁ、はぁ…っ」

全力疾走の効果で体はぽかぽかと暖かく、空気がやけに心地いい。
思い切り仰向いて空を見上げると、降ってくる雪が顔に触れ、触れたとたんに溶けて流れた。

「……へへっ」

人目が無いのをいいことに、笑いながら秀実は、腕を広げたり、くるくる回ってみたりする。
風邪をひく、と頭の隅で誰かが言うが、どうでもよかった。だって、こんなに気分がいいんだから。
難しいことを考えるより、体を動かすほうが、本当はずっと自分に向いている。
はー、と満足げに息をはいて、秀実は名残惜しげに両手を下ろした。
そして、ゆっくりと前方に視線を戻す。

化け物が、いた。

「……え…?」

あれは何だ?
自分が何を見ているのか、理解できない。
理解できないが、一瞬で体が冷え切った。

危険だ、ということは、本能で分かった。
ぞわ、と全身の産毛が逆立つ。

「…………」

秀実の目当てだったコンビニを背にして、そいつはこちらをじっと見ている。
普通の大人に見えなくもないが、腕が地面につくほど長い。
虚ろな瞳が、振り乱された髪の間から、異様なまでの光を発している。

人のようで、人でない。
化け物。そいつが。

にぃ、と笑った。

「……ひ…っ」

かくん、と膝から力が抜けて、秀実はその場に崩れ落ちる。

目が。
そらせない。逃げられない。
そんな秀実を見て、そいつはますます嬉しそうに歯茎をむき出し、その長い腕をひゅる、と振りかぶる。

殺される。

そう分かっていても、秀実の体は打ちつけられたようにびくともせず、恐怖に目をつむることすら自由にはならない。

だから。
重たい質量をもった化け物の腕が頭上に迫っても、秀実はそれを、ただ。
受け入れるしか。

「……そんなに長ェと、逆に不便じゃねぇか?」

すぱんっ、と。
小気味よい音をたて、化け物の腕が宙を舞う。
武器を片方無くしたそいつは、おぉん、と低い鳴き声を上げた。

「はッ、悪ィな。ちょいと短すぎたか。……つうかこれキモっ。トカゲの尻尾かよ」

その人物は、地面に落ちてのたくる腕を乱暴に蹴とばし、ゆうゆうとした足取りで、苦痛にうめくそいつの横を通り抜ける。
長い日本刀を担いだ、大柄な男。
いつもと同じ声で、当たり前であるような仕草で彼は、見上げる秀実に笑いかけた。

「……よう、秀実。またえらく妙な所で会うな」
「……と…、うさ……?」
「おう、父さんだぞ。……なんだなんだぁ、いつもの威勢はどうしたよ。らしくねぇなぁ」

と、父の言動があまりに自然なので、普段の意地っ張りが顔を出し、秀実はふくれっ面でそっぽを向く。

「べ……、別にっ。転んだだけだよ」
「ははん、さてはビビって腰抜かしてんな? 立てねぇのか」
「立てなくねぇよっ! 立ちたくねぇだけだ!」
「あっはっは。じゃ、そういうことにしとくか」

豪快な大声を周囲に響かせると、やっぱり依然として立ち上がれない秀実の頭に、ぽんぽんと手を載せる父。
打って変ったやさしい声が、上から降ってくる。

「……そこで見てろよ。もう大丈夫だからな」

それだけ言うと彼は振り返り、再び化け物と対峙する。
刀をまっすぐに構えた背中が、広い。

「……、……子ども扱いすんじゃねぇよ……」

拗ねたような秀実のつぶやきは、誰にも届かずに空気に溶けて、消えた。