第1話

 

関和馬は一見不良だが、中身は意外に家庭的だ。きっちり自炊している分、少なくとも、事務所の棚を開ければ降ってくるインスタントやら栄養食品やらが主食の雪彦よりは、家庭的だと信じている。

しかし、職業柄仕方のない遅寝遅起きの生活では、少し離れたスーパーに足を運ぶのもなかなか面倒で、休みの時に買いだめしておいた食材が切れた日などは、近所のコンビニを利用するのもよくあることだった。
店舗が大きく品ぞろえも豊富で、けっこう重宝していたりする。

夜というより、もはや早朝といったほうが適当な時間。さすがに和馬の目蓋も重く、レジに座ったおばさん店員は明らかに舟を漕いでいた。

朝食用にブラックコーヒーとパンをいくつか、それから無くなっていた消毒薬。あと、眠る前に何か腹に入れておきたいところである。

軽いカゴを片手に、丸い弁当のパックをひとつ取ろうとすると、同じものへ向けて、視界の端から白い指が伸びてきた。
黒髪を後ろでまとめた女。セーターとジーンズのミニスカートという、どこにでもいそうな格好ではあるが、

「……あら、こんばんは、シリウス」

俺をこう呼ぶのは世界中探しても一人しかいない。

最近見る機会もなくなった、ナチュラルバージョンの安藤つかさだった。家の外で、あの真っ黒なゴスロリスタイルでないことは珍しい。

格別美人ではないが、格別不細工なわけでもないのだから、このままでも充分だと和馬なんかは思うものの、本人としては納得できない部分があるのだとか。

「……お前さぁ、女がそんなもん食うなよ」

ちゃっかり奪い取られた弁当を指して呆れる和馬。
品名は『超大盛! スタミナカルビ丼』。
途端につかさが、顔を真っ赤にして怒った。

「べ、別に食べたかったわけじゃないわ! たまたま手に取ったらこれだっただけよ!」
「じゃあ俺によこせって」
「嫌。ここの……、このプチトマトが欲しいの!」
「サラダ買えよ」
「…………っ!」

分が悪いと察したのか、彼女は悔しげにこちらを睨みつけてから、和馬のカゴに乱暴な手つきで弁当を放り込む。ひっくり返りそうなところを慌ててキャッチ。

一方のつかさが持った買い物カゴには、よくもまあ、と感心するほど物が詰まっていた。スナック菓子から雑誌から色とりどりの化粧品から、しまいにはペットボトルの陰に覗く豊胸クッキーなんかを見つけてしまい、脱力する。

こんなモンまであるのか、このコンビニ……。
ていうか、気にしてたんだな、貧乳……。

視線に気づいたのか、せっかく赤みが引きかけていた頬をまたも火照らせるつかさ。

「あっ……、これはっ、間違えたの! アタシ、普通のお菓子と間違えて……っ!」
「あー、はいはい。悪かったな、まな板だの関東平野だの言って」
「関東平野!?」

失言。口に出したことは無かったようだ。

「最ッ低! 覚えてなさいよ、あなたが禿げたら毎晩耳元で河童野郎ってささやき続けてやる……!」
「誘ってんだか呪ってんだかどっちかにしろよ……」

つかさは、興奮したせいでうっすら浮かんだ涙を袖口で拭い、愛想が尽きたとでも言わんばかりにこちらへ背を向ける。殺気すら漂わせているようだが、面白いので調子に乗ってみる和馬。

「筑波だったら、スタイルなんか気にする奴じゃねぇから安心しろよ。前、ちょっと太めの女と付き合ってたし」
「な、なんで、つっ、筑波さんがっ、出てくるの!」

……面白い。
束ねた髪を翻して向き直ったつかさは、笑いをこらえる和馬の買い物カゴから再び弁当を奪おうとする。

「返しなさいよ!」
「他のにもプチトマト入ってるだろ」
「ここのキンピラが」
「そろそろ苦しいって気づけよ、その言い訳」
「筑波さんが太めの子好みだったらどうするのよ! アタシが痩せてるせいでふられたら、絶対あなたのせいだわ!」
「すげぇ言いがかりじゃねぇか、オイ」

カルビ丼に特にこだわりはないが、ここまでムキになられると、あっさり彼女に渡してしまうのも惜しい。細い手首をつかんで、強奪を阻止。それから、大げさなため息をついてみせる。

「だからぁ、スタイルなんか気にする奴じゃねぇって。お前が痩せてようが太ってようが、全身ド黒だろうがピンクだろうがサハラ砂漠だろうがどーでもいいの。それよりその性格どうにかしろよ。人として尊敬できる相手がいいとか、理屈っぽいこと言ってたぜ、前」

畳みかける和馬。だが、それを聞いていたつかさは喜ぶでも怒るでもなく、なぜか見る見るうちに瞳が冷ややかになっていった。
さすがに、サハラ砂漠は言いすぎたか?

切れかけているのか、頭上の蛍光灯が耳障りな音を立てる。やや俯きがちなつかさの顔は、薄化粧にもかかわらず、その光で真っ白になっていた。

「……、そうよね……」

ぽつり、と口を開く。
力の無いその声に、和馬はつい、彼女の手を離す。

「筑波さんは、見た目なんてつまんないこと気にする人じゃないわね……。……あなたと違って」
「……俺? そりゃ、少しは気にするけど」
「アタシと、ミミって子、似てるんでしょう?」
「はぁ?」

突然出てきた名前に、意図せず間抜けな反応を返してしまった。
というか、なぜつかさがミミを知っている?

和馬がこの仕事につくきっかけにもなった事件で、ミミこと村上瑞歩は死去している。運悪く遭遇してしまった、死神の鎌によって。
十年たった今でも、その光景は目の奥に焼き付いて色あせることはない。
……違う。色あせさせては、いけない。
忘れるものか。
許すものか。
腹の底で芽吹いた熾き火が燃え上がるより早く、氷のようなつかさの声が脳髄に届いた。

「それで突然、付き合えなんて言ったんでしょう? あなた、本当は、アタシのことなんか一度も見てなかったんじゃないの……?」

カゴに詰まった菓子の袋へ、ぱたぱたと透明な滴が落ちた。涙を流すつかさを前に、彼女がナチュラルメイクでよかったと、つまらないことを思う和馬。

「……全然違ぇよ……」
「え……」

意外そうに、彼女は潤んだ目を丸くする。

「不良仲間だったからな。ミミは、肌黒いし髪茶色いし眉ほとんどなかったし、すっぴんだと誰だかわかんねえくらいだった。お前とは全く似てねぇよ」

キツい平手を残してつかさがアパートを出ていったあの日、うろ覚えだが、ついでに浮気野郎だのなんだのと随分罵られた気がする。恐らく、和馬が寝ぼけて、彼女をミミと間違えでもしたのだろうとは思うが。
そしてその翌日から、流れで仕事場が同じになった。あの事務所に居ればミミについて、雪彦と自分の会話から容易に察することができるだろう。
手に入れた情報をつかさなりに組み合わせ、その結果こういう結論にたどり着いたものらしい。

「……俺がお前を、ミミの代わりにしてるとでも思ってたのか?」
「違うの……?」
「違ぇんだって。……理由があるとすればまあ、違うからなんだろうけど」

振り仰いでくる彼女の頭に手を乗せる。
つややかなストレートヘアは、ブリーチのしすぎで痛んでいたミミの茶髪とは比べ物にならないくらい滑らかだ。

「死神は許さねぇ。けど、いつまでもあいつのことを引きずってるわけにもいかないってくらい、俺にももう分かってる。だから、お前と付き合うことで忘れられんじゃないかって思ってさ……」
「……シリウス」

自嘲気味に和馬が笑うと、カゴを左に持ち替えたつかさは、空いたほうの手でこちらの頬にそっと触れてきた。
ひんやりした、てのひら。

「……それ、つまり誰でもいいのよね?」
「あ?」

次の瞬間、勢いよく振り抜かれた右手を、しかし和馬は脊髄反射で回避した。そう何度も同じ攻撃を食らうわけにはいかない。

「避けるんじゃないわよ! 馬鹿!」
「避けるだろ普通! 空気くらい読みやがれ!」
「こっちのセリフだわ! ちょっと見直しかけたのに、台無しよ! 最低!」
「じゃあ聞くけど、お前なんでOKしたんだよ」
「それはあなたが」

勢いで何かを言いかけたつかさだったが、こちらの視線に気づき、慌てたように口を引き結ぶ。

「……俺が、何?」

彼女を見下ろしつつ、意地悪く問いかける和馬。その胸に、突然重たいものが押し付けられる。

「明日、返してよ!」

と、買い物カゴを手放したつかさは言い捨て、小走りにコンビニから出ていった。流れたメロディで店員が目を覚ます。

「……おいおい……」

彼女がすり抜けた隙間が細くなるのを見て、呆れてため息をつく和馬。頭をかきたくなるが、生憎と両手は塞がっている。まったく、可愛げのない女だ。

つい受け取ってしまった、商品いっぱいのカゴ。仕方なく、和馬はそれと自分の買い物をレジに持ち込んで、ズボンのポケットから財布を引っ張り出した。それほど入っていないのだが……。

……あ。

大変なことに気づいたときには既に遅く、顔を上げた瞬間に、豊胸クッキーのバーコードを読むおばさん店員の不審な眼差しを、真正面から浴びることになった。
しばらくは、あの店には行けないと思う。